風頭公園
長崎県長崎市、標高145mの風頭山周辺に整備された風頭公園(かざがしらこうえん)。園内には、坂本龍馬像のほか、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』の文学碑、日本初の職業カメラマンで、あの有名な立ち姿の龍馬を撮影した上野彦馬の墓など…
長崎県長崎市、標高145mの風頭山周辺に整備された風頭公園(かざがしらこうえん)。園内には、坂本龍馬像のほか、司馬遼太郎作『竜馬がゆく』の文学碑、日本初の職業カメラマンで、あの有名な立ち姿の龍馬を撮影した上野彦馬の墓など…
長崎県長崎市、寺が建ち並ぶ寺町の禅林寺と深崇寺の間から続き、龍馬ゆかりの地・亀山社中跡を経て、風頭公園へ至る石段まじりの坂道が龍馬通り。亀山社中門前のポケットパークには、「龍馬のぶーつ像」もあり、龍馬ファンには必踏の地と…
長崎県島原市新山にある潜伏キリシタンなどを処刑にした刑場跡が今村刑場跡。島原城下の南端で、寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)による土石流で、埋まるま…
長崎県島原市湊町、熊本港へのフェリー、三池港への高速船が発着する島原外港にある島原温泉を飲泉した公園が島原温泉泉源公園。観音島公園の一角に築かれた園地で、無料で24時間利用できる足湯は島原温泉掛け流しとなっているほか、飲…
長崎県島原市の島原外港と熊本県熊本市の熊本港を結ぶ九商フェリー、熊本フェリー(高速フェリー)、福岡県の三池港(大牟田市)を結ぶ、やまさ海運(三池島原ライン/車の航送は不可)が就航する港が島原港フェリーターミナル。島原湾に…
熊本県熊本市西区新港にある人工島に設置されたのが熊本港フェリーターミナル。島原外港とを結ぶ熊本フェリーの高速フェリー「オーシャンアロー」(1678t)と九商フェリーの「レインボーかもめ」(850t)と「フェリーくまもと」…
長崎県長崎市鳴滝にあるシーボルトが出島から出た後、日本人に西洋医学(蘭学)教育を実施した場所がシーボルト宅跡(鳴滝塾跡)で国の史跡になっています。30歳のときにオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行していますが、長崎…
長崎県長崎市鳴滝にあるシーボルトの偉業を今に伝える長崎市立の博物館はシーボルト記念館。シーボルトは、江戸時代の日本に西洋医学や博物学を伝え、科学的な総合調査にもとづきヨーロッパに日本を広く紹介した偉人。記念館は、国指定史…
長崎県雲仙市の雲仙温泉(雲仙地獄)にあるビジターセンター的機能をもつ施設が雲仙お山の情報館。昭和9年3月16日、日本で最初の国立公園に指定された雲仙。そんな自然豊かな雲仙周辺の動植物や温泉、その歴史的景観に関するさまざま…
長崎県長崎市、大浦天主堂やグラバー園などの観光名所がある南山手地区の背後に聳える172.4mの鍋冠山を利用した公園が鍋冠山公園。山の形が鍋をふせたように緑が茂るのが鍋冠山という名の由来。観光的にはまだまだ無名の展望地です…
長崎県南松浦郡新上五島町、五島列島・若松島の東部にある西海国立公園・若松瀬戸を一望にするビュースポットが龍観山展望台。若松港の北に聳える龍観山(138m)の山頂直下までは車道も通じており(展望台へは徒歩5分)、南側に若松…
長崎県島原市本光寺町、島原城主・深溝松平家の菩提寺、本光寺が所蔵する膨大な量の旧島原藩主深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)ゆかりの歴史資料を収蔵展示するのが常盤歴史資料館。深溝松平家にまつわる民間コレクションとしては最大…
長崎県島原市萩原にある島原藩町年寄(古町別当)の中村家の屋敷門が中村家別当屋敷門。往時には中堀町(島原市中堀町159-3/エレナ一番街店)にありましたが、開発で萩町に移転しています。元治元年(1864年)2月、島原に上陸…
長崎県島原市にある島原藩主・松平忠誠(まつだいらただなり)が幕末に築いた御薬園跡が旧島原藩薬園跡。奈良の森野旧薬園(森野吉野葛本舗/奈良県宇陀市)、鹿児島の佐田旧薬園(鹿児島県肝属郡南大隅町)とともに「日本三大薬園跡」の…
長崎県島原市万町、中央街アーケードにあるのが島原湧水群・しまばら水屋敷。明治5年に島原の豪商・中山要衛門が建てた屋敷を平成7年に茶房として再生したもの。擬洋風建築の2階部分は明治30年頃の増築。庭にある池から1日4000…
長崎県島原市中堀町、島原市街の中心、水頭通り(みずがしらどおり)に昭和16年に地元住民の掘った共同井戸が島原湧水群・水頭の井戸。昭和63年に長崎県「新活力のあるまちづくり推進事業」で井戸の周囲にポケットパークが整備されて…
長崎県島原市上の町、明治10年創業の猪原金物店(いのはらかなものてん)。国の登録有形文化財に指定の建物は、万延2年(1861年)の築。「茶房&ギャラリー速魚川」も併設され、広い駐車場とともに島原の立ち寄りスポットとなって…
長崎県島原市の市街地にある小さな湖が白土湖。寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)で、寺の墓地だった一帯が陥没し、大量の地下水が湧出して湖が誕生したもの…