日光東照宮・御水舎
日光東照宮、陽明門へと上る階段の下に配されるのが御水舎(おみずや)。徳川家康が祀られる日光東照宮の神域中の神域に足を踏み入れる前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清めるための建物です。水盤は、元和4年(1618年)、肥前佐…
日光東照宮、陽明門へと上る階段の下に配されるのが御水舎(おみずや)。徳川家康が祀られる日光東照宮の神域中の神域に足を踏み入れる前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清めるための建物です。水盤は、元和4年(1618年)、肥前佐…
日光東照宮参拝のハイライトの一つが国宝の陽明門。極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」とも称されていますが、平成の大修理を終えて絢爛豪華な輝きが蘇っています。他の社殿と同様、3代将軍・徳川…
日光東照宮の神馬(しんめ)の厩舎(きゅうしゃ)である神厩舎の長押には、人間の人生を表す合計で16匹の猿が彫られています。そのうち、もっとも有名な猿が「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿(さんえん・さんざる)です。厩舎に猿…
日光東照宮の陽明門前にあるのが朝鮮鐘と通称される鐘が下がる鐘舎。すぐ横に巨大な鐘楼がありますが、朝鮮鐘は鐘舎に下がっています。寛永20年(1643年)、竹千代(後の4代将軍・徳川家綱)誕生の祝賀に朝鮮通信使が香炉、燭台、…
日光東照宮の有料エリアの入口、表門を入ったすぐ左手にあるのが神厩舎。神馬(しんめ)をつなぐ厩(うまや)で、古来、猿は、馬の病を治したり、 馬の世話をするなどされているところから、長押(なげし)上には猿の彫刻8面が描かれ、…
勝道上人が開山し、空海も入山したと伝わる日光山。山岳崇拝、修験道、日本古来の神道などが結びついて神仏習合の霊山として発展します。天長6年〜天長10年(829年〜833年)頃、円仁(慈覚大師)が日光山(当時の寺号は満願寺)…
勝道上人によって開山した日光ですが、空海に続いて天長6年〜天長10年(829年~833年)、円仁(慈覚大師)が入山。その影響を受けて創建したのが日光山輪王寺・常行堂(じょうぎょうどう)。現存する常行堂は、慶安2年(164…
日光二荒山神社とその別宮・滝尾神社を結ぶ峠越えの日光史跡探勝路途中、峠部分に建つのが日光山輪王寺・行者堂。明治4年の神仏分離令で、日光山輪王寺、日光二荒山神社、日光東照宮に分けられるまでは日光山は修験の地としても繁栄。山…
日光山輪王寺の旧本坊は、明治4年5月13日に焼失していますが、その表門だったのが日光表参道に面して建つ本坊表門(黒門)。黒漆塗りのため、黒門と通称されています。皇族を日光山の門主(輪王寺宮)と仰ぐ門跡寺院の格式を示す門で…
日光史跡探勝路(滝尾神社コース)の終点、白糸の滝脇に鎮座するのが滝尾神社(たきのおじんじゃ)。二荒山神社の別宮で、二荒山神社の主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神(きさきがみ)で女峰山の女神・田心姫命(たごりひめ…
明治初年の神仏分離まで、日光全山が日光山の霊場で、その歴史を紹介するミュージアムが日光山輪王寺の輪王寺宝物殿。日光山の歴史を物語る歴史的美術的価値の高い資料を保存研究公開する施設です。年間6回、約50点ずつ展示替えを行な…
栃木県日光市、日光山内の北辺、日光史跡探勝路(滝尾神社コース/滝尾道)沿いにあるのが日光山輪王寺・開山堂。弘仁8年(817年)に遷化(せんげ=高僧の死去)した日光開山の祖・勝道上人(しょうどうしょうにん)を茶毘にしたのが…
世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産で、二社一寺のひとつ、日光東照宮の有料エリアの入口が表門。門下の券売所で拝観券を購入し、表門から入退場します。自然の地形を生かして門の手前は階段。元和3年(1636年)、徳川家光の寛永…
日光東照宮参道途中、五重塔近くにあるのが石鳥居(一の鳥居)。日光東照宮創建(徳川家康日光改葬)の翌年、元和4年4月17日(1618年6月9日)の造営の明神鳥居。高さ9.2m、柱間6.7m、柱の直径(太さ)3.6mの石鳥居…
日光東照宮の石鳥居(一の鳥居)脇にあるのが五重塔。慶安3年(1650年)、若狭小浜藩の初代藩主・酒井忠勝(さかいただかつ/4代将軍徳川家綱時代の老中・大老)が寄進したのが始まりですが、文化12年(1815年)に焼失。現存…
日光東照宮参道途中、一の鳥居の東側、日光東照宮宝物館近くにあるのが御仮殿(おかりでん)。御本社を修理する際に、祭神を一時的に遷すための御殿で、現存する建物は3代将軍・徳川家光の造営による寛永16年(1639年)の建立。国…
栃木県日光市の日光山内、勝道上人日光開山の地である四本龍寺から明治の館方面に歩いたところにあるのが朱塗りの児玉堂。伝承によれば弘仁11年(820年)、空海(弘法大師)が虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊に堂を建立したの…
日光東照宮への参詣道として江戸時代初期に整備された街道が日光杉並木街道。杉の植栽は徳川譜代の家臣である松平正綱・正信父子が行なっていますが、日光山内、神橋近くに立つ並木寄進碑は、慶安元年(1648年)、杉の植え付けを終え…