見沼通船堀公園
さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここ…
さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここ…
横須賀港の新港埠頭に近くに位置し、海が見渡せる広大な公園が三笠公園。その名の通り日露戦争の日本海海戦で帝国海軍旗艦となった戦艦「三笠」が記念艦として保存されています。「水と光と音」がテーマの三笠公園は、「日本の都市公園1…
総面積は53haにわたる広大な上野恩賜公園。江戸時代までは徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺の境内で、多くの堂塔、そして塔頭が建ち並んでいた境内でした。不忍池に弁天堂や、上野動物園の中に五重塔があるのもそのため。明治6年に日本…
7月の『津島天王祭』で有名で、全国に3000社ある天王社の総本社・津島神社の横にある公園。大正9年に佐屋川の支流・天王川の名残りの池を中心に開設された公園です。舟運が盛んだった時代には津島湊(つしまみなと=川湊)として尾…
大手門をくぐった先が三の丸。芝生の広がる三の丸広場にはかって、向屋敷御殿、武蔵野御殿、三の丸御殿、数奇屋などがびっしりと並び、石垣上には3層の櫓が3基、2層の櫓7基が多聞櫓と結ばれていました。天下泰平の世になると播磨姫路…
平成5年12月に世界遺産として登録されたことを記念して、姫路城ビューポイントを公募。「世界遺産姫路城十景」が定められましたが、そのなかでも記念撮影に絶好のポイントが城見台公園。姫路城へのメインルートからはずれ、観光的には…
平成元年に行なわれた姫路市制百周年の記念イベント『’89姫路シロトピア博』の跡地を再生して誕生した公園がシロトピア記念公園。姫路城を取り囲む中曲輪(なかくるわ)の北部分にあり、姫路城の連立式天守を間近に見上げ…
横浜港に面した1kmほどに、芝生の広場やベンチが置かれたプロムナードが続く山下公園。もともとはフランス波止場があった場所で、関東大震災の復興事業として瓦礫で造成された日本初の臨海都市公園(昭和5年開園)。関東大震災の際に…
山下公園の日本郵船氷川丸の係留地に近い、中心に噴水「水の守護神像」があります。この噴水、実は、横浜と姉妹都市を結ぶアメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴ(San Diego)から寄贈されたものです。夜になるとライト…
山下公園の一角に「ZANGIRI」と刻まれた白亜の像が立っています。意外に知られていませんが、これが西洋理髪発祥の地碑。日本初の西洋理髪店(理容室=Hair Dressing salon)は、元治元年1月下旬(1864年…
昭和12年に発表された童謡『かもめの水兵さん』。作詞者の武内俊子は、ハワイに旅行する叔父・足利瑞義(あしかがずいぎ/福山・勝願寺住職・本願寺派勧学・本願寺執行長・龍谷大学学長)を見送るために横浜港の大さん橋に来たときのか…
大正11年、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡『赤い靴』。童謡『赤い靴』の2番の歌詞には「横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった」という歌詞があり、その歌詞をイメー…
横浜港に臨む山下公園の西端(大さん橋側)にあるインド式の水飲み場がインド水塔。関東大震災(大正12年)では、横浜在住の在日インド人が多数被災しましたが、その救済のために横浜市民が尽力。震災の瓦礫処分場だった山下公園に、横…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳の総称が保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。西光寺境内となった薬師塚古墳を除く一帯は広さ12.9haの歴史公園「上毛野はにわの里公園…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3基の100m級の前方後円墳の総称が国の史跡に指定される保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。3つの古墳のもっとも南にあるのが二子山古墳。墳長108m…
高崎市保渡田・井出地区の田園地帯にある二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の3基の100m級の前方後円墳の総称が国の史跡に指定される保渡田古墳群(ほとだこふんぐん)。3つの古墳の中央にあるのが八幡塚古墳。二子山古墳に次いで…
福井駅から南西500mにある柴田公園は、戦国時代末期に柴田勝家の居城・越前北の庄城跡。浅井長政と運命をともにした朝倉氏(朝倉義景)の滅亡後、越前の一向一揆を平定した功績により柴田勝家が越前を領有。1575(天正3)年から…
佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来…