鶴御埼灯台
大分県佐伯市鶴見、豊後水道にのびるリアス式海岸・鶴見半島の先端に建つのが、鶴御埼灯台(つるみさきとうだい)。豊後水道を行き交う船の安全を守るため、昭和56年3月25日に初点灯した比較的に新しい灯台で、九州の最東端に建って…
大分県佐伯市鶴見、豊後水道にのびるリアス式海岸・鶴見半島の先端に建つのが、鶴御埼灯台(つるみさきとうだい)。豊後水道を行き交う船の安全を守るため、昭和56年3月25日に初点灯した比較的に新しい灯台で、九州の最東端に建って…
大分県佐伯市鶴見、豊後水道にのびる鶴見半島の先端に位置する鶴御崎にあるのが、鶴御崎自然公園(つるみさきしぜんこうえん)。九州最東端にあたり、高さ200mの絶壁には白亜の鶴御埼灯台が建っています。周辺一帯は鶴御崎自然公園と…
大分県大分市高瀬、大分市内を流れる大分川の支流、高瀬川南岸の丘陵地にある石仏群が、高瀬石仏(たかせせきぶつ)。霊山の北麓に高さ1.8m、幅4.4m、奥行1.5mの凝灰岩層の石窟があり、その壁には、大日如来を中心に馬頭観音…
大分県玖珠郡九重町(ここのえまち)松木、松木川にかかる落差26m、幅40mの豪快な二段落としの滝が、龍門の滝。筑紫溶岩台地が削られた美しい岩の上に、水晶のすだれをかけたように落下。中間の濃い緑の滝壷からあふれる水は、なめ…
大分県別府市上田の湯町、昭和3年3月28日完成のレトロな建物が、別府市公会堂。設計は、旧別府市電報電話局(児童館)の設計も手がけた逓信省の技師・吉田鉄郎。ストックホルム市庁舎(ラグナル・エストベリ設計)がモデルという館内…
滋賀県近江八幡市新町、国の重伝建(近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区)に選定される一角に建つミュージアムが、近江八幡市立資料館(郷土資料館)。昭和28年、ヴォーリズ建築事務所が改築した旧八幡警察署の建物を再生したもので…
滋賀県近江八幡市新町2丁目、国の伝統的建造物群保存地区に指定された町並みの中心エリアである新町にある博物館が、近江八幡市立資料館(歴史民俗資料館)。歴史民俗資料館、郷土資料館、重要文化財旧西川家住宅の総称が近江八幡市立資…
大分県別府市別府、別府駅から西へ徒歩15分ほどの別府公園にあるのが、油屋熊八の碑(あぶらやくまはちのひ)。油屋熊八は、明治44年に別府に亀の井旅館を創業、昭和3年、亀の井自動車(現在の亀の井バス)を創業するなど、別府が国…
大分県別府市野口原、別府市役所のすぐ南、青山通りと富士見通りに挟まれた27.3haという広大な都市公園(総合公園)が、別府公園。昭和52年、昭和天皇御在位50年記念公園の指定を受け、別府公園として整備されたもの。昭和4年…
長野県佐久市前山、蓼科山の大河原峠へと登る蓼科スカイライン途中、標高1580mの地点にあるのが、JAXA美笹深宇宙探査用地上局(じゃくさみささしんうちゅうたんさようちじょうきょく)。口径54mのパラボラアンテナが1基あり…
長野県佐久市、蓼科山の山腹、片貝川沿いの高台にあるのが、JAXA臼田宇宙空間観測所(じゃくさうすだうちゅうくうかんかんそくしょ)。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の施設で、直径64mのパラボラアンテナは日本最大。施設外観…
山口県山口市二保中郷のKDDI山口衛星通信センターに併設の展示資料館が、KDDIパラボラ館。敷地には大小20基を数えるパラボラアンテナが林立し、インド洋、大西洋上の通信衛星などを中継し、世界各国との電話、テレビ、船舶や航…
山口県山口市仁保中郷にあるKDDIの国内唯一の国際通信施設が、KDDI山口衛星通信センター。山口衛星地球局と称される日本最大の衛星通信施設で、20基のパラボラアンテナが並び、インテルサット( Intelsat=国際電気通…
山口県防府市車塚町にある墳丘長53mの前方後円墳が、車塚古墳。天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ/車塚妙見神社)の境内にあり、墳丘くびれ部を削平して社殿が建っています。埋葬施設は後円部・前方部に各1基の横穴式石室があ…
山口県山口市上竪小路、龍福寺(大内氏館跡)の北側に、築山神社と並んで建つのが、八坂神社。応安2年(1369年)、大内氏9代・大内弘世(おおうちひろよ)はが京・祇園感神院 から勧請した祇園社で、もとは大内氏の迎賓…
山口県山口市中尾にある大内氏遺跡の一部として国の史跡に指定されているのが、凌雲寺跡(りょううんじあと)。大内氏14代・大内義興(おおうちよしおき)が了庵桂悟(りょうあんけいご)を開山として、永正4年(1507年)頃に創建…
山口県山口市大殿大路にある曹洞宗の寺が、龍福寺(龍福禅寺)。建永元年(1206年)、弘治3年(1557年)、毛利隆元(もうりたかもと)が大内義隆の菩提寺として再興。一帯は大内氏の居館(大内館)跡で、国の史跡。明治16年に…
山口県山口市大殿大路にある大内氏の居館跡が、大内氏館跡。西の京と称され中世に大内文化を花開かせた大内氏の居館は、大内弘世(おおうちひろよ)が周防(すおう)、長門(ながと)平定後、防長両国の守護となり、正平15年・延文5年…