甲府城・稲荷櫓
甲府城(舞鶴城)の北辺、稲荷曲輪(いなりくるわ)の復元櫓。稲荷曲輪御櫓(いなりくるわおんやぐら)が正式な名称で、城内の鬼門の北東に位置することから御艮櫓(おんうしとらやぐら)とも呼ばれ、藩政時代には武具蔵として使われまし…
甲府城(舞鶴城)の北辺、稲荷曲輪(いなりくるわ)の復元櫓。稲荷曲輪御櫓(いなりくるわおんやぐら)が正式な名称で、城内の鬼門の北東に位置することから御艮櫓(おんうしとらやぐら)とも呼ばれ、藩政時代には武具蔵として使われまし…
甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。…
大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て…
高遠城(たかとおじょう)は、武田氏が伊那侵攻の拠点とした城。江戸時代に入り、上伊那の城の大半が廃されましたが、明治維新まで大名の居城として残されました。城跡には、1500本のコヒガンザクラが植えられ、全国でも屈指の桜の名…
小諸駅の西側に位置する懐古園は、小諸城の城跡。信玄の軍師だった山本勘助が縄張りしたという小諸城は、城下町よりも一段低い位置に築かれた珍しい「穴城」。11の丘と12の谷で構成される19万平方メートルの広大な城跡公園となって…
福井市街地の西南に位置する、標高116.8mの足羽山(あすわやま)の自然を生かした公園。春には日本一の桜並木で有名な足羽川の堤とともに「日本さくら名所100選」に選定された3500本の桜が全山に、初夏には足羽神社近くの「…
高岡市福岡町木舟にあり、元暦元年(1184年)、越中国の豪族・石黒光弘が築城した中世の城。石黒光弘は、1183(寿永2)年、木曾義仲(源義仲)軍と平維盛軍が激戦を繰り広げた倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで木曾義仲に従…
大日如来を本尊とする真言宗の古刹で正式名は金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)。室町幕府を開いた足利尊氏で一躍有名になった足利一族の発祥の地で「足利氏館」として「日本100名城」にも…
埼玉県大里郡寄居町にある中世の城跡。荒川と深沢川の合流地点の断崖上という天然の要害を活かし、1476(文明8)年、関東管領山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)の家臣・長尾景春が築城。武田信玄、上杉謙信との攻防もあった城は、…
北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁…
太田市のシンボルである金山(標高235.8m)に築かれた戦国時代の城が、金山城(かなやまじょう)。97.8haが国の史跡となる大規模な山城で、日本100名城に選定。本丸跡とされている山上に新田神社が鎮座しています。中世の…
榛名山東南麓に築かれた中世の平山城が、箕輪城(みのわじょう)。東西500m、南北1100m、総面積36haという広大な城で、「日本100名城」にも選定。相模・小田原城が本拠の北条氏康、甲斐・府中(甲府)の武田信玄、越後の…
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦(現・愛知県豊明市)、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い(愛知県新城市)、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久…
織田信長は、清洲城から小牧山城に居城を移し美濃攻略を狙います。そして美濃の稲葉山城を攻め落とすと、岐阜と名を改め、城と城下町を築きます。稲葉山(金華山)の山麓に庭園などを配した居館を設け、ここを「天下布武」の出発点とした…
標高721mの城山の山頂に築かれ、高低差180mの地形を活かした堅固な山城が岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。大和・高取城、備中・松山城と並び、「日本三大山城」のひとつに数えられています。地形的な要因で霧が立ちこめやすいこ…
永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山…
岐阜(ぎふ)の市街を見下ろす金華山(329m)の山頂に建つ山城。かつては斎藤道三の居城・稲葉山城でしたが、1567(永禄10)年、織田信長は小牧山城(愛知県小牧市)から本拠を移し、新たに山城を築城して岐阜城と改名しました…
西尾城の一部を復元した歴史公園。西尾城の前身は、承久の乱(1221年)の戦功によって三河国守護となった足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した西条城。足利氏は吉良氏(きらし)と改め、吉良荘を統治。江戸時代に家康の命で酒井重…