与板城(城山)
新潟県長岡市与板町の城山にある上杉家家老・直江兼続(なおえかねつぐ)の居城跡が与板城。平成21年のNHK大河ドラマ『天地人』(原作・火坂雅志)の主人公・直江兼続(妻夫木聡、少年時代・加藤清史郎)は、直江家に跡継ぎとして入…
新潟県長岡市与板町の城山にある上杉家家老・直江兼続(なおえかねつぐ)の居城跡が与板城。平成21年のNHK大河ドラマ『天地人』(原作・火坂雅志)の主人公・直江兼続(妻夫木聡、少年時代・加藤清史郎)は、直江家に跡継ぎとして入…
新潟県長岡市の栃尾にあり、地元が「謙信公旗揚げの地」とPRする山城跡が栃尾城。戦国時代、越後国を治めたのは、上杉謙信(幼名・虎千代)の兄・長尾晴景。当時、謙信は春日山の林泉寺に預けられていましたが、兄の命を受けて還俗し、…
新潟県上越市にある高田藩の藩庁、高田城。酒井家次以降は譜代大名だったにもかかわらず天守をもたなかったので、三重櫓が代用天守として機能していました。大坂冬の陣の直前で工事を急いだため、当初は二重櫓を建築。のちの泰平の世にな…
新潟県新発田市(しばたし)にある新発田藩(しばたはん)の藩庁で、外様大名(とざまだいみょう)・溝口家の居城が新発田城。新発田城にはもともと天守がなく、本丸西端の三階櫓がその役目を果たす代用天守として機能していました。現在…
初代新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が慶長3年(1598年)に築城した新発田城(しばたじょう/新潟県新発田市)。辰巳櫓(たつみやぐら)は本丸南東(辰巳)の位置に建つ2階建ての櫓。平成16年に古来の手法で復元された…
越後国蒲原郡新発田(現・新潟県新発田市大手町)にあった新発田城(しばたじょう)。表門に至る橋から左手を見ると表門と同様に江戸時代の遺構である旧二ノ丸隅櫓が聳えています。実はこの場所は本丸鉄砲櫓(ほんまるてっぽうやぐら)の…
湿地に造られた平城が新発田城(しばたじょう/新潟県新発田市)。水堀に囲まれた本丸は船の形をしていることから舟形城との呼ばれていました。現存する本丸表門は享保17年(1732年)に再建された2階建ての楼門で国の重要文化財。…
群馬県館林市にある周囲は8kmの細長い沼、城沼(じょうぬま)。東武伊勢崎線・佐野線・小泉線の館林駅から徒歩20分という市街地にあり、鶴生田川が広くなった部分が城沼。沼畔にはツツジの名所として知られる群馬県立つつじが岡公園…
山口県庁敷地内にある幕末に築かれた門が旧山口藩庁門。毛利敬親(もうりたかちか)が、文久3年(1863年)12月に一露山(いちろざん)の麓、今の山口県庁の位置に藩庁の移転を計画し、慶応3年(1867年)に竣工。旧藩庁門は、…
藩政時代、豊後森藩の陣屋が置かれたのが、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園。豊後国森藩の8代藩主、久留島通嘉(くるしまみちひろ)が、6年の歳月と巨費を投じて築造させた久留島陣屋跡。三島公園として整備された園内には、旧久留島氏…
大分県玖珠郡玖珠町、玖珠(くす)盆地の南に位置する標高685.4mの山、伐株山(きりかぶやま)。耶馬日田英彦山国定公園に指定される山頂はメサ(卓状台地)と呼ばれる平坦な草原で、その名の通り、まるで木の切り株跡のようなユニ…
大分県中津市にある日本三大水城ひとつ、中津城。山国川の支流、高瀬川(現在の中津川)の河口デルタに位置する天然の要害地で、水門から堀に海水を引き入れた水城。城の北側は海、西側は川に面しており、本丸跡の南西隅には、水門跡(水…
大分県中津市にある日本三大水城ひとつ、中津城。天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(黒田如水、黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた城。往時の天守はありませんが、中津城本丸南側、三の丁駐車場目の前のお…
大分県中津市にある中津城は、天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(黒田如水、黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた城。その本丸跡の北側、薬研堀には、黒田氏時代の石垣と、細川氏時代の石垣が見られる場所が…
大分県中津市、中津市立南部小学校一帯は江戸時代には中津城の三の丸だった場所。南部小学校と南部幼稚園の南西角あたりに中津城大手門跡の看板が立っていますが、その看板から東側数m部分が築城の名手といわれた黒田孝高時代の石垣で、…
大分県中津市にある中津藩の藩庁だった城が中津城。天正16(1588年)、築城の名手・黒田孝高(黒田如水)によって築かれ、細川忠興が完成させた中津城。その三の丸にあたる三ノ丁地区の西南隅の高瀬川(現在の中津川)沿いには、西…
茨城県稲敷郡美浦村(みほむら)にある平山城が木原城。霞ヶ浦南岸に位置する木原城の城跡一帯は木原城址城山公園として整備され、桜やチューリップ、藤が植栽され、開花期にはお花見が可能です。復元した櫓からは、霞ヶ浦を眺望、往時に…
茨城県つくば市にある中世(鎌倉時代〜戦国時代)、常陸国南部を領有した小田氏の居城だった城が小田城。小田氏の祖・八田知家が文治元年(1185年)に常陸国守護となった際、居館を構えたのが始まりで、戦国時代には小田氏治が攻防戦…