明治34年に操業を開始した官営八幡製鐵所。その第一高炉(第10次改修高炉)一帯は史跡公園として公開され、内部の見学ができるほか、パネルなどの展示で近代製鉄発祥の地としての歴史を学ぶことができます。「官営八幡製鉄所関連施設」として世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船石炭産業」にも登録。
「鉄は国家なり」という方針で明治政府が築いた官営八幡製鐵所
「富国強兵、殖産興業」のスローガンのもと、日清戦争(明治27年~28年)を契機に近代洋式製鉄所設立の機運が高まり、明治30年6月、当時の福岡県那珂郡八幡村に官営製鉄所が開庁。
「鉄は国家なり」と、官営製鉄所の建設を決定したのも日清戦争の終結間近の明治28年のことです。
広島や下関といった建設候補地のなかから北九州の八幡村が選ばれたのは、背後に筑豊炭田を控えていたこと(銑鉄1トンを作り出すのに、鉄鉱石1.6トン、石炭を4トン使用)、水の確保(鉄鋼1トン当たり200トンの水が必要=河内貯水池を建設)、そして陸海の輸送などの立地条件から。
ドイツ人技師を複数雇って、突貫工事で建設されました。
明治34年2月5日には東田第一高炉への火入れが、さらに明治34年11月18日には皇族や政府高官らを招いての作業開始式が行なわれています。
完成直前の東田第1高炉は、伊藤博文総理も視察するなど、明治政府の力の入れ方もよくわかります。
「午前11時、カンナくずに火を付けて消えないように息を吹きかけながら急いで羽口から投げこんだ」と『八幡製鉄所百年史』には火入れの様子が記されています。
「鉄鋼の国産化に向けた近代製鉄業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産にも認定。
廃炉となった東田第一高炉は奇跡的に現存
官営でスタートした八幡製鉄所は、昭和9年に他の製鉄所と合同、民営の日本製鉄になり、八幡地区の製鉄所は第2次世界大戦の戦火からも免れて、戦後の復興にも大きく貢献しています。
現存する東田第一高炉は第10次改修高炉で、昭和37年8月〜昭和47年1月まで操業していました。
製鉄所の主力機能が隣接する戸畑地区に移行し、昭和47年に廃炉となっています。
史跡広場となった東田第一高炉跡には、高炉で溶かされた銑鉄を運搬する貨車(トーピードカー)、高炉から運ばれてきた銑鉄(せんてつ=鉄鉱を溶鉱炉でとかして還元した炭素を含む鉄)から利用目的に合わせた質の良い鋼鉄を作る「転炉」が展示されています。
また、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定される大谷会館(北九州市八幡東区大谷1-2-4)は、八幡製鉄所職工専用のクラブとして昭和2年5月29日に開館。
現在は結婚式場、宴会場として一般利用が可能な施設になっています。
ちなみに官営八幡製鉄所は、上級職員用に「高見倶楽部」、一般職員用に「門田会館」という施設を保有し、職工専用のクラブが大谷会館です。
東田第一高炉跡 | |
名称 | 東田第一高炉跡/ひがしだだいいちこうろあと |
所在地 | 福岡県北九州市八幡東区東田2-3-12 |
関連HP | 北九州市公式ホームページ |
電車・バスで | JRスペースワールド駅から徒歩すぐ |
ドライブで | 北九州都市高速枝光ICから約1km |
駐車場 | 東田博物館ゾーン共同駐車場/有料 |
問い合わせ | 市民文化スポーツ局文化部文化企画課 TEL:093-582-2391 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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