奥の細道むすびの地

1689(元禄2)年旧暦8月21日、俳聖・松尾芭蕉は、5ヶ月にわたる『奥の細道』の旅を大垣で終え、「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠んで、式年遷宮の伊勢神宮を目指し、水門川の船町港(船町湊)から長島・大智院へと揖斐川を舟で下っています。「奥の細道むすびの地」船町港には、芭蕉と谷木因(たにぼくいん)の像が立っています。

『奥の細道』の旅のゴールは大垣

1684(貞享元)年、『野ざらし紀行』の途中など芭蕉は大垣に計4回立ち寄り、大垣藩士らを中心に盛んだった俳諧に影響を与えています。
俳友の谷木因が大垣で廻船問屋を営むことが立ち寄りの理由ですが、芭蕉の来訪により、「蕉風俳諧」が美濃地方にも広まっています。

大垣市は船町港を「史跡奥の細道むすびの地」とし、船町港近くには、奥の細道むすびの地の碑のほか、「奥の細道むすびの地記念館」も建っています。

元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸出立。9月6日に美濃国大垣に着くまで、武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過しています。
芭蕉46歳。距離にしておよそ2400km、150日あまりにおよぶ旅は、水の都・大垣がゴール。
『奥の細道』の記述も9月6日美濃大垣を出発するまでとなっています。
結びの句、「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ 行く秋ぞ」。

芭蕉は、1689(元禄2)年9月6日辰の刻に、「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」船町港を出船。
杉江(現在の桑名市杉江)に着船し、長島上坂手にあった長禅寺を経て大智院に入っています。
谷木因も長島大智院まで見送り、ともに多度大社(当時の多度山権現)に参詣、句を残しています。

この年、伊勢では、この年の春、第46回神宮式年遷宮が行なわれていました。

奥の細道むすびの地
名称奥の細道むすびの地/おくのほそみちむすびのち
所在地岐阜県大垣市船町1
関連HP大垣市公式ホームページ
電車・バスで養老鉄道西大垣駅から徒歩16分。または、JR大垣駅から徒歩18分
ドライブで名神高速道路大垣ICから約5.5km
駐車場奥の細道むすびの地第1駐車場(40台/無料)・奥の細道むすびの地第2駐車場(25台/無料)
問い合わせ大垣市商工観光課 TEL:0584-81-4111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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