関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原、十九女池(つづらがいけ)西にあるのが、関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡。徳川四天王に数えられる本多忠勝は、勇猛なだけではなく知略も備えた名将として名を馳せていますが、関ヶ原合戦では軍監として参戦し、先陣となった松平忠吉・井伊直政隊が対戦していた島津隊に向かって進撃しています。

徳川四天王の2人が東軍の最前線で活躍

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡

徳川四天王は、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政です。
酒井忠次は慶長元年(1596年)に死去、その子・酒井家次は徳川本隊の徳川秀忠に従って中山道を行軍中で、関ヶ原合戦には間に合いませんでした。
榊原康政も徳川秀忠とともに行動、関ヶ原合戦は福島正則を出し抜いて先鋒となった井伊直政と本多忠勝のふたりが前線で活躍、西軍を切り崩しています。

戦前の軍議で福島正則隊が仕掛ける予定でしたが、松平忠吉(徳川家康の四男、井伊直政の娘婿)の初陣で手柄を立てさせたい井伊直政は、福島隊を出し抜いて戦を仕掛けたため、本多忠勝もその勢いで西軍と相まみえています。
ただし本多勢も主力は子の本多忠政が率いて秀忠隊に従軍していたので、手勢はわずかでした。
それでも90にも及ぶ首級を挙げており、この功績で伊勢国桑名を領有しています。

本多忠勝陣のすぐ南には烏頭坂があり、それを抑えるという意味合いもあって、十九女池西に陣を構えたのだと推測できます。
東軍の「軍監」だったので、ここで戦を監督する立場でしたが、西軍・毛利秀元隊が烏頭坂に攻め込まないことがわかって、戦に参加し、宇喜多秀家隊、石田三成隊と戦い、中央突破で烏頭坂へと逃走する島津義弘隊を追撃するという少数精鋭ぶりを発揮しています(愛馬「三国黒」は島津隊の指揮官を狙った狙撃で倒れています)。

関ヶ原合戦後、西軍に与した真田昌幸・真田信繁(幸村)親子の助命を、真田昌幸の長男で、娘婿の真田信之とともに、徳川家康に嘆願。
徳川諸将は、これまで度々煮え湯を飲まされてきたので、切腹を命じるというのが大勢でしたが、「「認められなければ、殿と一戦交える覚悟」という本多忠勝の気迫に圧倒され、助命が叶いました。

関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡
名称 関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡/せきがはらこせんじょう・ほんだただかつじんあと
所在地 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原3441-1
関連HP 関ケ原観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR関ヶ原駅から徒歩7分
ドライブで 名神高速道路関ヶ原ICから約1.5km
問い合わせ 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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