群馬県渋川市の伊香保温泉に、街道時代に置かれた関所が、伊香保関所(伊香保口留番所)。江戸から越後に至る三国街道裏往還(金井宿・杢ヶ橋関所~須川宿)の要所だった伊香保村口留番所を復元した建物で、伊香保温泉石段街の基部に位置しています。北関東は江戸幕府守備の要衝だったという政治的な背景もありました。
復元した口留番所で、取り調べを再現
口留番所は、佐渡金山の金鉱石を運搬した三国街道の脇往還・伊香保道を固める目的で、祖母島村(うばしまむら)に配された吾妻道(日陰道)・祖母島番所とともに寛永8年(1631年)に設置されたもの(同時に徳川幕府は、関所破りの罰則と関所破りを捕らえた者への褒賞規定を定め、監視を厳しくしています)。
明治2年の関所廃止令までの238年間、往来する人々の通行を確認し、関所としての役割を果たしていました。
当時の関所は、間口5間、奥行3間、15坪ほど萱葺き屋根の建物で周囲に木柵を配し、東西に門扉を設けていました。
歌川広重の『江戸伊香保八景・関屋の雲』にも描かれた場所ですが、現在の建物は「伊香保御関所跡」に復元されたもの、当時のままに残るのは建物脇の門柱の礎石のみ。
復元された関所内部には通行手形や十手、没収された火縄銃などが展示、当時の取り調べの様子を人形で再現したコーナーもあり、往時を偲ぶことができます。
延享3年(1746年)、9代将軍・徳川家重(とくがわいえしげ)の時代(江戸時代中期)に石段両脇の12軒の大屋(配湯の権利を有する旅館)に十二支を付け、以降は年番で名主や伊香保口留番所の役人を務めていました。
関所には番役人として伊香保の大屋2名(年番)、下番2名の計4名が常駐し、とくに「出女」を取り締まりました。
子宝の湯と喧伝(けんでん)された伊香保の湯は、すでに江戸時代には女性の湯治客も多く、そこで、「出女」の詮議が厳しく行なわれたのです。
伊香保温泉は元禄時代と文化・文政時代に近世の黄金時代を迎えていますが、その背景には子宝の湯としての妙(たえ)なる効能があったのです。
ちなみに、上州(群馬県)は、江戸への流入を防備する北関東の拠点で、藩主に酒井家、松平家を配し、碓氷関所を筆頭に、国内に全国一の数となる関所を配して、流通を監視したのです。
伊香保関所(伊香保口留番所) | |
名称 | 伊香保関所(伊香保口留番所)/いかほせきしょ(いかほくちどめばんしょ) |
所在地 | 群馬県渋川市伊香保町伊香保甲34 |
関連HP | 渋川市公式ホームページ |
電車・バスで | JR渋川駅から関越交通バス伊香保温泉行きで27分、終点下車、徒歩5分 |
ドライブで | 関越自動車道渋川伊香保ICから約11km |
駐車場 | 徳冨蘆花記念文学館駐車場(70台/有料)・石段アルウィン公園(有料)など |
問い合わせ | 伊香保関所(伊香保口留番所) TEL:0279-72-4933 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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