清水トンネル

清水トンネル

上越国境(群馬県利根郡みなかみ町・新潟県南魚沼郡湯沢町)に位置する上越線のトンネルが、清水トンネル。関東と新潟をつなぐ鉄路の大動脈として、昭和6年9月1日に開通。川端康成の小説『雪国』で「国境の長いトンネル」と形容されたことで有名です。

「国境の長いトンネル」は群馬側抗口を眺望可能

世界一ともいわれる遭難者数(一ノ倉沢など岩場での遭難が大半)で「魔の山」と呼ばれる谷川岳。
その下を抜け、JR上越線土合駅(どあいえき)と土樽駅(つちたるえき)の間にある全長9702mの山岳鉄道トンネルが清水トンネルです。

着工は群馬側(鉄道省東京建設事務所)が大正11年8月18日、新潟側(鉄道省長岡建設事務所)は少し遅れて大正12年10月6日。
第一次世界大戦(大正3年〜大正7年)の影響で諸物価が高騰し、労働者の確保も困難だったため、請負人を雇わず、削岩機などの機械力を最大限に活用した直轄施工を行ない、工事費の低減を図りました。

町から遠く離れた工事現場だったため、両坑口に、宿舎、病院、共同浴場、子供たちの分教場、日用品販売所などを備えた集落が築かれました。
大量の出水により掘削が一時中止に追い込まれ、排水トンネルを別に掘るなどの苦労の末に、昭和4年12月29日、導抗貫通。
両口併せて死亡者(殉職者)48人、重軽傷者2720人という犠牲を出しています。

当時、日本最長の鉄道トンネルは明治36年2月1日に開通した笹子トンネル(4656m)。
まだ満足な技術、経験もなく笹子トンネルの2倍以上の掘削になる長大なトンネルを貫通させたのです。
新潟は、北前船の寄港地として繁栄した日本海側最大の都市・新潟(北前船全盛時代には日本海側の方が太平洋側より物流量が多く、新潟はその中継地として繁栄していました)と関東を結ぶ鉄路の開通は、至上の命題だったのです。

清水トンネルを少しでも短くするため、線路を渓流沿いの高所まで伸ばすため、群馬県側に湯檜曽ループ線(湯檜曽駅~土合駅間/曲線半径402m、最大勾配20パーミル、交差箇所の標高差46.5m)、新潟県側に松川ループ線(土樽駅~越後中里駅間/曲線半径402m、最大勾配20パーミル、交差箇所の標高差44.0m)というトンネルを伴ったループ線で高度を稼ぎ、665mを最高点とするトンネルを掘削したのです。
当時の機関車牽引能力から勾配の限度は20パーミル(水平距離1000mで高低差20mとなる坂の勾配)だったため、大きな円を描いてループ状に高度を稼ぐ方式を採用(湯檜曽駅上り線ホームからは、ループ線の線路を見上げることが可能)。
トンネル名は、た上越国境越えに利用された谷川岳の肩・清水峠に由来しています。

この清水トンネル関連施設群の完成で、東京と新潟は、それまでの2つのルート(信越線ルート、磐越西線ルート)に対し、距離で100km、所要時間も信越線ルートだと4時間短縮(難所の碓氷峠越えがありました)、会津若松を経由する磐越西線ルートでも3時間も短くなっているのです。

現在のループ線は上り列車用ですが、新清水トンネルの開通前は単線運転のため新潟方面への下り列車もループ線を通過していました(清水トンネルで構築された鉄道ループ線の技術は、他の山岳路線でも使われています)。

複線化を実現した新清水トンネル(1万3490m、現・上越線下り線)の開通は、昭和42年のこと。

清水トンネルは、新清水トンネル(昭和42年)、湯檜曽ループ線(昭和6年)、松川ループ線(昭和6年)、土合駅構内土合斜坑(昭和42年)、毛渡沢橋梁(昭和6年)、湯桧曽橋梁(昭和6年)とともに、JR上越線清水トンネル関連施設群として土木遺産にもなっています。

清水トンネルに関するモニュメントとしては、群馬県側に上越南線殉死者供養塔(旧湯檜曽駅跡地付近)、上越南線直轄工事記念碑(土合駅前)が、新潟県側には上越北線殉職碑があります。

ちなみに、清水トンネルの群馬県側の入口(抗口)は、土合駅(上り線)・土合山の家(谷川岳温泉湯吹の湯)近く、国道291号が上越線(上り線)を渡る踏切から眺望可能。

清水トンネル
土合駅近く、この踏切(上越線上り線)から抗口が眺望可能
清水トンネル
名称 清水トンネル/しみずとんねる
所在地 群馬県利根郡みなかみ町
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
湯檜曽駅・湯檜曽ループ線

湯檜曽駅・湯檜曽ループ線

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土合駅

土合駅

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毛渡沢橋梁

毛渡沢橋梁

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土合斜坑

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土合砂防堰堤

土合砂防堰堤

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