林さんは大姓19位で、全国に53万6000人ほどが暮らしていると推測されます(国民の0.44%)。林とは文字通り木の茂っている所を指す言葉で、全国には大字(おおあざ)以上の林が30ヶ所以上もり、そのため、林姓も各地から発祥しています。
林さんのルーツの筆頭は藤井寺
江戸時代の儒学者・林羅山は、京・四条新町の出身。
女流作家の林芙美子(はやしふみこ)は北九州。
同じく作家の林真理子は山梨県山梨市。
俳優の林隆三は、東京都新宿区四谷、元歌舞伎役者で俳優の林与一は、大阪府出身。
林さんには政治家も多く、最近では林寛子(扇千景)が神戸市の出。
予備校講師で「今でしょう」の林修先生は、愛知県名古屋市千種区出身とやはり、地域性には乏しい感じです。
林だけでなく、拝志郷(はやしごう=愛媛県今治市拝志ほか)や拝師郷(はやしごう=京都府福知山市拝師ほか)といった地名から生まれた林氏もあるので、話はややこしくなります。
古代氏族の林氏は、河内国志紀郡拝志郷(大阪府藤井寺市林)を発祥とする林朝臣(あそみ)や林宿禰(すくね)、林史(ふひと)、林連(むらじ)など。
平安時代の貴族には、林山主(はやしのやまぬし)も名を残しています。
大阪府藤井寺市林に鎮座する伴林氏神社(ともはやしのうじじんじゃ)は、平安時代を通じて栄えた伴林氏一族の居住地。
伴林氏は大伴氏の支族である林宿禰( はやしのすくね)の一族が分家して、伴林一族として河内国に移住して祭祀を続けたもの。
神社には大伴氏の祖神である道臣命(みちのおみのみこと)・天押日命(あめのおしひのみこと)が祀られています。
周囲には前方後円墳も多く、ここが古くから拓けた林さんのルーツであることがよくわかります。
松本にも林さんのルーツが
ここで、ちょっと地味ながら、林さんなら知っておいて欲しい、松平氏(徳川氏)に仕えた三河譜代の林家当主・林忠崇(はやしただたか)の紹介を。
林忠崇は信義の人。
時は幕末、風雲急を告げる慶応3年(1867年)、当時、江戸詰めの上総国・請西藩(かずさじょうざいはん)・第3代藩主・林忠崇のもとにも「大政奉還」の一報が慌ただしくもたらされますが、21歳の忠崇は、徳川300年の恩顧に報いんと徹底抗戦を決意(請西藩=現在の千葉県木更津市請西に藩庁のあった藩)。
徳川親藩が次々と官軍側につく中、なんと林忠崇は自ら藩主の座を捨てて脱藩し、総督として官軍に立ち向かったのです。
富津、佐貫、勝山、館山と進軍、海路伊豆を目指し、箱根、奥州と転戦しましたが、すでに大勢は決し、ついに明治元年(1868年)仙台にて降伏。
全国でただひとつ請西藩は即刻取り潰しとなっています。
初期に陣屋のあった貝渕陣屋跡(木更津市貝渕)と、2代・林忠旭(はやしただあきら)の時に場所を移した真武根(まぶね)陣屋跡(木更津市請西)が現存。
いずれにしろ林忠崇を除いて、戊辰戦争で大名が先頭に立って奮戦したことなど、他に例をみないので信義の人ということに。
しかも、昭和になるまで長生きした元大名で、昭和16年、死去(享年94歳)。
晩年は「最後の大名」として知られ、林忠崇の死が、わが国最後の大名の死となったのです。
豪族の林氏としては、この林忠崇は、信濃国・林郷を発祥とする清和源氏義光流小笠原氏族林籐助光政から起こる三河林氏の一族。
信濃国・林郷は、現在の松本市の南東部、千鹿頭山(ちかとうやま)・千鹿頭神社の北東側にあたる場所。
明治8年に林村が里山辺村(現・松本市里山辺)に編入されるまでは、筑摩県筑摩郡林村が存在していました。
この三河譜代の林家の家紋「左三巴下一文字」は、徳川氏より賜ったもので、「正月並み居る諸侯の中で一番にお杯を頂戴する家柄を表す」とか。
信義の人、林さんのルーツとしては、長野県松本市に林大城(金華山城)と林小城(福山城)からなる林城の跡が残されています。
石川・富山・兵庫にも林さんのルーツが
加賀国石川郡拝師を発祥とする加賀林氏は、藤原北家利仁流(としひとりゅう)・藤原忠頼から起こり、代々加賀介に任じられています。
この加賀林氏からは、江戸幕府の林(りん)家の氏祖である林羅山(はやしらざん=加賀国の郷士の末裔)が出ています。
一門は「りんけ」と呼び習わされてはいるが、当然、姓は「はやし」。
石川県野々市市上林3丁目に鎮座する林郷八幡神社。
北から下林、中林、上林と続く一帯が加賀国石川郡拝師(林郷)です。
林郷八幡神社は、往古、拝師明神または拝師八幡宮と呼ばれた古社。
ここが土豪の林氏の氏神で、北陸の林さんのルーツの可能性も大。
富山県砺波市にも林さんのルーツ、拝師郷が
尾張林氏は河野氏一族の河野通広が美濃国で林姓を名乗ったとも、稲葉氏の一族である稲葉通村の代に、姓を「林」と改めたともいわれ、定かでありません。
さらに、常陸国鹿島郡林を発祥とする常陸林氏は桓武平氏大掾(だいじょう)氏族。
茨城県鹿嶋市林には林外城跡と林中城跡が残されていて、北野天満宮や賀茂御祖神社(下鴨神社)、諏訪大社下社にもその名を見ることができます。
富山県砺波市林に鎮座する林神社は、古代の拝師郷に鎮座し、祭神の道臣命(みちのおみのみこと)は古代に宮廷より勧請したものと伝えられています。
一帯はカイニョ(屋敷林)に囲まれた散居村なので、このカイニョと林さんには何らかの因果関係があるのかもしれません。
こちらも北陸の林さんの貴重なルーツのひとつ。
明石最古の神社は、林神社
林一族の守り神として知られる兵庫県明石市宮の上の林神社がよく知られています。
林神社は延喜式神名帳の「明石九座」のうちの一社で、式内社、明石で最も歴史のある神社ということになります。
様々な神様が祀られていますが総称して林大神、当然、林さんのルーツのひとつでしょう。
林さんならこうした古社に祈祷をお願いするのもいいでしょう。
林さんは屋敷が林で囲まれた富山県など、北陸に多いのが特徴
神社でいえば、歴史は浅いのですが奈良市の漢國神社境内の林神社は、日本に初めて饅頭を伝えたという林浄因(りんじょういん)を祀り、「まんじゅうの神様」といわれています。
甘党の林さんは訪ねてみてはいかがでしょうか。
林さんは、富山県ではなんと2位(0.91%)、岐阜県が5位(1.33%)、石川県6位など北陸を中心に多いのが特徴。
散居村(さんきょそん)で知られる砺波平野などに発祥があるのは屋敷を囲った林というのも関係しているのかもしれません。
家紋は、三河林氏は、正月元旦に徳川将軍より一番に杯を賜ることから、拝領紋の左三つ巴の下に「一」の字を加えた、左三つ巴に一文字。
他に、林の字、隅切角(すみきりかく)に三文字、鶴、開扇、桔梗、丸に右三つ巴、丸に抱き柊、石もち剣片喰(かたばみ)、柏、花菱、笹、鷹の羽など。
ちなみに林さんは、実はあまり知られていませんが、一文字の姓では、日本一の人口を誇っています。
2位は森さん(全国順位は第23位)なので、森を抑えた林ということに!
ただし小林さん(第8位)には負け、中林さん(752位)、大林さん(854位)、上林さん( 1303位)は圧倒。
林さん、小林さん、中林さん、大林さん、上林さん、森さんなどは、もともとどんな自然環境だったのか、どうして大差が生まれたのか、名前にはやはり深い歴史が刻まれています。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
林さんのルーツを探せ! | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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