赤穂市立歴史博物館

赤穂城内の米蔵があった地に建つのが赤穂市立歴史博物館。5つの連なる白壁土蔵の建物は、かつての赤穂藩米蔵を再現。赤穂の名を世に知らしめた塩と義士のほか、城と城下町、旧赤穂上水道など、4つのテーマに分かれており、それぞれパネルやビデオ、人形、模型などを駆使し、わかりやすく展示しています。

「塩と義士の館」が愛称の歴史館

赤穂流の入浜塩田を紹介する「赤穂塩」コーナーでは、製塩道具(国の重要有形民俗文化財)や塩廻船模型、石釜模型で江戸時代の製塩方法を詳細に解説。
「赤穂の城と城下町」では赤穂城の俯瞰模型を展示。
「赤穂義士」コーナーは、映像で赤穂事件を骨子を学べるほか、文楽『仮名手本忠臣蔵』の一部を上映。
つまりは、映画や演劇などの文化と、史実の両面から『忠臣蔵』を紹介しています。

赤穂城内と城下に千種川の水を供給した江戸時代初期に完成した上水道は、「日本初の上水道」ともいわれています。
意外に知られていませんが「旧赤穂上水道」コーナーでは池田輝政の治世に赤穂郡代・垂水半左衛門(たるみはんざえもん)が設けた上水道から、江戸時代に敷設の上水道の仕組みが解説されています。

赤穂市にはほかに、赤穂市民俗資料館、赤穂市立海洋科学館・塩の国が開館しています。

日本三大上水道

赤穂郡代・垂水半左衛門は、1614(慶長19)年〜1616(元和2)年の3年を費やして、高雄の切山隧道を掘り抜いて千種川の水を取水。
導水路を引いて赤穂城下に上水をもたらしました。
延長30kmにも及ぶこの赤穂の上水道は江戸神田上水(1590年/天正18年完成)、広島県福山水道(1622年/元和8年完成)と並んで「日本三大上水道」にも数えられています。
「赤穂バザール」(赤穂市加里屋42-7)の前には水が湧き出す旧上水道のモニュメントも設置。

赤穂市立歴史博物館
名称赤穂市立歴史博物館/あこうしりつれきしはくぶつかん
Ako City Museum of History
所在地兵庫県赤穂市上仮屋916-1
関連HP赤穂市立歴史博物館公式ホームページ
電車・バスでJR播州赤穂駅から徒歩15分
ドライブで山陽自動車道赤穂ICから約4.8km
駐車場赤穂城跡東駐車場(90台/無料)、赤穂城跡西駐車場(100台/無料)、赤穂大石神社駐車場(50台/無料)
問い合わせ赤穂市立歴史博物館 TEL:0791-43-4600/FAX:0791-45-3501
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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