兵庫県朝来市市生野町口銀谷の市川右岸沿いなどに残る生野鉱山専用軌道敷(三菱電気軌道)の跡がトロッコ道(トロッコ軌道跡)。生野鉱山(生野銀山)で産出した鉱石を運搬するための鉱山鉄道の廃線跡で、大正9年、電気機関車が導入された際、金香瀬坑道〜支庫(旧生野駅)間に敷設されたものです。
姫宮橋から石造アーチ橋を見学
生野銀山は明治政府が手掛けた最初の官営化した鉱山で、明治元年、明治政府は仏人技師ジャン・フランソワ・コアニエ(Jean-François Coignet)を招き近代化に着手。
明治9年には生野〜飾磨間に幅員6m、全長約49kmの生野鉱山寮馬車道(通称:銀の馬車道)を敷設。
フランス人技師レオン・シスレー(ジャン・フランソワ・コワニエの妻の弟)の監督のもと、当時としては最新技術のマカダム式道路(砕石による道路舗装法)を採用しています(日本初の高速産業道路)。
当初は人力での搬出、その後、馬車、そして鉄道馬車となりましたが、大正8年にアメリカ製の6トン電気機関車が導入されたことを受け、本所〜生野駅の区間が延長され、生野鉱山から精錬所を経て積出し駅の旧生野駅までが一本に結ばれます(電車軌道の完成で馬車鉄道を廃止)。
昭和30年にトラック輸送に変わるまで、この軌道で鉱石を精錬所に搬出していました。
この時に築かれたのが口銀谷地区の軌道跡で、市川右岸には、中世に築かれ、後に生野代官所が置かれた生野城跡の石垣を転用したアーチ型の石積みも残されています。
口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)近く、姫宮神社の参道となる姫宮橋から眺めるトロッコ軌道跡は絵になる風景です。
また遊歩道として整備され、トロッコ用の6キロレールを当時と同じ500mm軌間で埋め、イメージを再現しています。
トロッコ道(口銀谷地区、奥銀谷地区)は、生野鉱山関連施設群(金香瀬地区)、鉱山町の町並み、神子畑選鉱場跡などとともに経済産業省の近代化産業遺産「我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定。
さらに日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~」の構成資産にもなっています。
トロッコ道(トロッコ軌道跡) | |
名称 | トロッコ道(トロッコ軌道跡)/とろっこどう(とろっこきどうあと) |
所在地 | 兵庫県朝来市生野町口銀谷617 |
関連HP | 生野町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR生野駅から徒歩10分 |
ドライブで | 播但連絡道路生野から約1km |
駐車場 | 観光駐車場(70台/無料) |
問い合わせ | 生野町観光協会 TEL:079-679-2222 |
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