飛行場前駅跡

飛行場前駅跡

北オホーツクの北海道枝幸郡浜頓別町、平成元年のJR天北線廃止に伴い駅としての使命を終えた飛行場前駅。原野と牧草地が続く広大な大地にひっそりと飛行場前駅跡が眠っています。駅舎もない無人駅だったため、現存する施設は雑草に覆われたホーム跡とアスファルト舗装された軌道跡(北オホーツクサイクリングロード)のみとなっています。

陸軍・浅茅野第一飛行場があったのが駅名の由来

駅名は、第二次世界大戦中の昭和19年に建設された陸軍・浅茅野第一飛行場(あさじのだいいちひこうじょう)があったことに由来。
昭和20年の敗戦で飛行場は役割を終え、兵舎なども昭和26年に撤去されています。
飛行場建設工事には学生・生徒の勤労奉仕、日本人労働者のほか、強制連行された朝鮮人労働者も多く従事し、『浜頓別町史』に95名、『猿払村史』では85名の犠牲者があったと記載されています。

音威子府駅(おといねっぷえき/音威子府村)で宗谷本線に分かれ、南稚内駅で再び宗谷本線に戻る天北線の全通は大正11年で、天塩国と北見国を結んだのが線名の由来。
全通時には、宗谷線(宗谷本線)と呼ばれ、稚内駅(初代)〜大泊港駅(樺太)間の稚泊航路(ちはくこうろ)にも連絡していました。

飛行場前駅が仮乗降場としての開駅されたのは昭和30年のことですが、周囲が原野だったため、飛行場前(飛行場前仮乗降場)という駅名が付いたもの(昭和62年のJR北海道誕生で駅に昇格)。
とはいえ、駅が開設された際には飛行場はなかったので、カニ族などが「北海道周遊券」(後の「北海道ワイド周遊券」)を使って旅した時代には、注目された駅のひとつになっていました。

天北線の線路は北オホーツクサイクリングロードに転用され、ホームは草に覆われていますが、その形状を確認できます(農道にある北オホーツクサイクリングロードの看板が目印です)。

1200m×60mの滑走路跡は牧草地に転用され、痕跡はありません。
往時の滑走路はサイクリングロードに転用された軌道跡とは直角に、南西から北東へと伸びており、
牧草地の外れにはコンクリート製の掩体壕(えんたいごう=飛行機の防空壕)も現存しますが私有地(農場)のため立入は不可。
農道沿いに残るコンクリート建造物の残骸が、陸軍の飛行場だったことを物語っています。

モケウニ沼の入口にあるので、モケウニ沼、エサヌカ直線道路、エサヌカ原生花園などとあわせての探勝がおすすめです。

陸軍・浅茅野第二飛行場は猿払村に築かれ、旧滑走路跡は村営猿払牧場になり、道の駅さるふつ公園が滑走路の末端に位置する場所に建っています。

ちなみに天北線の廃線跡では、北見神威岬の灯台下も有名です。

飛行場前駅跡
名称 飛行場前駅跡/ひこうじょうまええきあと
所在地 北海道宗谷郡猿払村浅茅野台地
ドライブで 稚内空港から約57km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
モケウニ沼

モケウニ沼

北海道猿払村の浅茅野原野(あさじのげんや=浅茅野湿原)にある秘沼がモケウニ沼。北オホーツク道立自然公園に指定され、沼南部は総面積375haのモケウニ沼湿原が広がっています。駐車場からは湿原に下るように歩道が設けられ、湿原内には沼へと一直線に

エサヌカ原生花園

エサヌカ原生花園

北オホーツク、北海道猿払村の浅茅野原野(あさじのげんや)の海岸沿いに続く原生花園がエサヌカ原生花園。とはいえ看板もなく、原野と原始砂丘、エサヌカ川沿いの牧草地が続くだけなので、訪れてもどこが原生花園なのかはっきりしません。エゾカンゾウ、ハマ

エサヌカ直線道路

エサヌカ直線道路(猿払村道浜猿払エサヌカ線)

北海道、北オホーツクの猿払村を走る国道238号は、スピード違反に要注意の道。国道の海岸側は浅茅野台地(あさじのだいち)と呼ばれる原野と牧草地、原生花園が広がっています。国道に並走するように海岸側を走るのが地元で「エサヌカ直線道路」と呼ばれる

北見神威岬(斜内山道)

北海道枝幸郡浜頓別町と枝幸町との境、オホーツク海に突き出した岩峰の岬。「ピㇼカノカ」(アイヌ語で「美しい形」の意)の一つとして国の名勝に指定されています。国道238号は平成11年に北オホーツクトンネルが完成して、岬をトンネルで通り過ぎてしま

旧天北線モニュメント

音威子府駅(おといねっぷえき)で宗谷本線から分岐し、浜頓別(はまとんべつ)を経て南稚内で再び宗谷本線に合流した天北線(てんぽくせん)。あまり知られていませんがこの路線、南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の初期のルート(大正11年全通

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ