『宗谷岬』音楽碑

『宗谷岬』音楽碑

吉田弘の作詞、船村徹の作曲で、ダ・カーポが『みんなのうた』で歌って昭和51年にヒットした『宗谷岬』。実は、ダ・カーポ(久保田広子・榊原まさとし)はリメイクで、昭和47年7月、黒木真理(くろきまこと)がオリジナル。『宗谷岬』先端には、昭和55年建立の黒御影石に「宗谷岬」の歌詞と楽譜を刻んだ『宗谷岬』音楽碑も立っています。

昭和51年、NHK『みんなのうた』でダ・カーポが歌って大ヒット!

平成14年には誕生30周年を記念して『30周年記念音楽碑』が建立され、スイッチを押すと千葉紘子の歌うメロディが流れる仕掛けになっています。

作詞を手がけたのは稚内在住の吉田弘。
宗谷岬に特別の思い入れがあった作曲家・船村徹は、何度も宗谷岬を訪れ、曲のイメージを膨らませました。
そして「その土地に住む人の思いが伝わるような歌詞が欲しい」と考えるようになったのです。

その曲に昭和47年、吉田弘が「地元の人たちに長く愛唱されるような詩を」と付けたのが『宗谷岬』。
昭和47年7月、シングル盤発売時のレコードの歌手は黒木真理(くろきまこと)ですが、ローカルヒットにとどまっています。

昭和51年、NHK旭川放送局が現地を取材に訪れ、この歌が再評価され、同年4月、ダ・カーポ(昭和49年に『結婚するって本当ですか』が大ヒット)の歌バージョン(編曲:栗田俊夫)が『みんなのうた』で紹介され、ヒット曲に(北海道有線で優秀賞)。
昭和60年に千葉紘子(ちばひろこ)がカバーしています。

朝日新聞記者時代の数々のルポで知られるジャーナリスト・本多勝一は、昭和58年に宗谷岬を訪ね、「みやげ物屋の拡声器が浜辺の人々にがなりたてる。歌詞がまた決まり文句と手アカだらけの単語をこねて団子にしたような“作品”であり、歌詞を刻んだ石碑も建てられ、自然破壊の役割を果たしている。騒音に対するこの鈍感さ、自然に対するこのひどい冒瀆、心ある人は二度とこんな岬に来ないだろう」( 『北海道探検記』)と記しています。

『宗谷岬』音楽碑
名称『宗谷岬』音楽碑/『そうやみさき』おんがくひ
所在地北海道稚内市宗谷村宗谷
電車・バスでJR稚内駅から宗谷バス大岬方面行きで50分、宗谷岬下車
ドライブで稚内空港から約23km
駐車場100台/無料
問い合わせ稚内市観光交流課 TEL:0162-23-6161
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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