福井県敦賀市、敦賀湾の湾奥西側を占める全長1.5kmの松原が気比の松原。静岡県の「三保の松原」、佐賀県の「虹の松原」と並ぶ日本三大松原のひとつで、アカマツやクロマツ1万7000本が生い茂り、国の名勝に指定されています。その名は氣比神宮の神苑だったことに由来し、「日本の白砂青松100選」にも選定。現在は松原公園になっています。
西行法師、松尾芭蕉、志賀直哉、ブルーノ・タウトも訪れた!
戦国時代以前には、氣比神宮の神苑として、大切に保護されましたが、永禄13年(1570年)、織田信長の越前攻略の後に、氣比神宮の所領ということで没収され、江戸時代には小浜藩の御用木(藩有林)となり、保全されたのです。
明治以降は官有林、国有林となりましたが、その後、半分近くが開発され、現在では明治時代の半分の32haになっています。
日本の海岸の松林はクロマツが多いのですが、気比松原で生育する松はアカマツが8割以上で、樹齢200年を超える大木が多いのも特長。
「一夜の松原」という伝説が残され、聖武天皇の御代、この地に異賊が来襲。
そのとき一帯が突然震動し、一夜にして数千の松が浜辺に出現したというもの。
樹上には無数のシラサギがとまり、それを異賊は数万の軍勢と見て逃げ去ったという伝説です。
夏は海水浴場となり多くの人出で賑わいをみせます。
松原の中には砂利道の遊歩道が整備され散策も可能。
総延長3258kmの近畿自然歩道の起点であり(終点=兵庫県南淡町鳥取)、若狭湾へと続く「若狭湾ル−ト」のコース起点にもなっています。
渤海国からの使節が宿泊する「松原客館」があった!?
天平時代から平安時代の初めには渤海使(ぼっかいし)が日本にたびたび訪れたので、越前国、気比の松原に渤海使定宿の「松原客館」が設けられていました(『延喜式』に「越前国松原客館」の記載がありますが、場所は特定されていません)。
渤海は、中国北部から朝鮮北部に繁栄した国で、神亀4年(727年)に出羽国に来着以来、延喜19年(919年)までの間に35回の渤海使の来着がありました。
「松原客館」は、能登半島の福良津(現在の福良)にあった「能登客院」とともに使節をもてなした大切な迎賓館として機能しました。
天平宝字2年(758年)には越前国に来着し、「安史の乱」を伝えてもいます。
『延喜式』には「渤海客の食法」が規定されており、1日に大使・副使は稲を各5束支給するなど細やかな規定まで作られていました。
約3ヶ月の滞在だったので越前国にとっては大変な負担となりましたが、大陸への文化交流の拠点だったこと、船の修理などでの技術の向上などその後の日本海文化を支える大きな交流だったといえます。
気比の松原 | |
名称 | 気比の松原/けひのまつばら |
所在地 | 福井県敦賀市松島町 |
関連HP | 敦賀市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR敦賀駅からコミュニティバスはぎ号で16分、松原公園下車、すぐ。またはJR敦賀駅から福鉄バスで12分、気比の松原下車、徒歩5分 |
ドライブで | 北陸自動車道敦賀ICから約4.8km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 敦賀観光協会 TEL:0770-22-8167 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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