福井県敦賀市金ケ崎町、敦賀赤レンガ倉庫に平成30年5月19日に設置されたのが、キハ28形。昭和43年12月21日に製造された最後の国鉄急行形気動車で、急行「わかさ」として小浜線で活躍したこともあり、「鉄道と港のまち敦賀」の鉄道遺産として敦賀赤レンガ倉庫で静態保存されています。
高度成長時代に活躍した急行気動車を静態保存
キハ28は昭和36年に登場したキハ58系と呼ばれる国鉄急行形気動車(急行用ディーゼルカー)の仲間。
まだまだ道路網が未整備の時代、地方都市間を結ぶ急行列車の近代化、スピードアップを図るため、製造されたものです(当時は特急列車は特別な存在で、主役は急行列車でした)。
高度成長期に入り、蒸気機関車が客車を引いた時代の終焉とともに58系の仲間は1800両も投入され、長い編成でも使われましたが、1両単位で自走できる構造にもなっていました。
保存されている「キハ28 3019」(製造時はキハ28 1019で、福知山に配属され急行「丹波」、急行「丹後」で使用、豊岡に配属時に冷房用発電装置搭載で改番)は、北近畿で使われた急行気動車で、国鉄末期まで豊岡配置され、急行「丹後」、急行「但馬」として使われていました。
平成12年3月6日に廃車となった後、和歌山県白浜町の「アドベンチャーワールド」で屋内保存が続けていましたが、解体が決まったことから、それを避けるためアチハ株式会社(大阪市の運送会社)が保管を続けていました。
平成29年12月に行なわれた『つるが鉄道フェスティバル』(「敦賀・鉄道と港」まちづくり実行委員会主催)でアチハ株式会社の協力のもと、キハ28形の展示が行なわれ、小浜線を懐かしむ市民の声などもあって鉄道遺産としてのキハ28形の価値が再認識されて、敦賀市が取得したものです。
東京からベルリンまで1枚のきっぷで旅ができた時代、敦賀は東京と直通列車「欧亜国際連絡列車」で結ばれ、シベリア鉄道の発着地であるウラジオストクと鉄道連絡船が就航していました(これがヨーロッパへの最短ルートで、歌人・与謝野晶子はパリへと旅し、杉原千畝が発給した「命のビザ」でのユダヤ人もこのルートで来日しています)。
そんな敦賀市は「鉄道とみなとのまち敦賀」をテーマに、金ヶ崎町周辺の敦賀港や数多く残る鉄道遺産を活用し誘客につなげる町づくりを進めており、そのシンボルのひとつに。
急行「わかさ」(運行当初は準急「わかさ」)は、西舞鶴駅〜金沢駅間(東舞鶴駅〜敦賀駅は小浜線経由)で昭和36年3月1日に運行が始まった列車で、敦賀駅〜金沢駅間は名古屋駅〜金沢駅〜高山駅〜名古屋駅間の循環準急「しろがね」、「こがね」に併結されていました。
舞鶴線の電化により平成11年10月2日に廃止となっています。
敦賀赤レンガ倉庫・キハ28形 | |
名称 | 敦賀赤レンガ倉庫・キハ28形/つるがあかれんがそうこ・きはにじゅうはちがた |
所在地 | 福井県敦賀市金ケ崎町4-1 |
関連HP | 敦賀赤レンガ公式ホームページ |
電車・バスで | JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで11分、赤レンガ倉庫下車 |
ドライブで | 北陸自動車道敦賀ICから約3km |
駐車場 | 60台/無料 |
問い合わせ | 敦賀赤レンガ TEL:0770-47-6612/FAX:0770-47-6613 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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