平沢官衙遺跡

奈良・平安時代に造営された常陸国筑波郡の郡衙跡(ぐんがあと)で国の史跡となっているのが平沢官衙遺跡。官衙(かんが)とは古代の官庁のことで、郡役所の正倉跡と推測されています。これまでの調査で大きな溝が囲む構内に大型の高床式倉庫と考えられる建物が数多く並んでいた(掘立柱建物跡が55棟)ことが判明。

奈良・平安時代に設置された貴重な郡役所の跡

昭和50年、県営住宅団地造成に先立つ調査により奈良・平安時代の郡の正倉と推定される地方官衙の代表的な遺構であることが判明。
平成5年から本格的な調査が始まり、平成15年に「平沢官衙遺跡歴史ひろば」として一般に開放されました。

郡衙(ぐんが)には、郡衙政庁(役人が執務する施設)、正倉(租税として集められた稲などの保管倉庫)、館(宿泊、饗応に使われた施設)、厨(食事を作る施設)などの建物があり、平沢官衙遺跡はそのうち正倉跡。

8世紀前半以前〜11世紀頃と推測できる55棟の掘立柱建物跡、4基の礎石建物基壇跡、25軒の竪穴住居跡、大溝跡、柵列跡などが発掘。
出土物はわずかで、土器類、瓦、硯の破片、焼米などに限られています。

高床土壁塗双倉、高床校倉、高床板倉の3棟が復元され歴史公園として公開されています。

遺跡のある平沢台地の南には約3km四方の古代の条里制遺構が広がっているので、北条地区などその名残もぜひ見ておきたいところ。

校倉造の1号建物は8世紀後半の建物を復元
8世紀後半の土倉を復元した2号建物は茅葺き

古代の常陸国には11郡があった!

奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂され、721年(養老5年)に成立した『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)には、新治、白壁(真壁)、筑波、河内、信太、茨城、行方、香島(鹿島)、那賀(那珂)、久慈、多珂(多賀)の11郡があったと記されています。
常陸国の国府・国庁、国分寺は、現在の石岡市に置かれていました。

平沢官衙遺跡
名称平沢官衙遺跡/ひらさわかんがいせき
所在地茨城県つくば市平沢353
関連HPつくば市公式ホームページ
電車・バスでJR土浦駅からバスで平沢官衙入口下車
ドライブで常磐自動車道土浦北ICから約12km
駐車場35台/無料
問い合わせ平沢官衙遺跡歴史ひろば案内所 TEL:029-867-5841
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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