鏡花のみち

鏡花のみち

古都・金沢の三大文豪(泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星)のひとり、泉鏡花を偲ぶ浅野川の西岸沿いに設けられた散歩道が鏡花のみち。明治6年11月4日、金沢市下新町(現・尾張町)に生まれ、養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通った泉鏡花は、久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)が遊び場でした。

泉鏡花ゆかりの橋をたどって浅野川沿いを散策

鏡花のみち

金沢市尾張町にある泉鏡花記念館が、泉鏡花の生家跡。
久保市乙剣宮から暗がり坂を下り、主計町茶屋街を通り、中の橋で浅野川を渡って養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通っていました。
また浅野川に架る中の橋は、泉鏡花の『化鳥』、『照葉狂言』の舞台。
天神橋は、泉鏡花の出世作『義血侠血』に登場する重要な橋です。

鏡花のみちは、天神橋〜梅ノ橋〜浅野川大橋~中の橋の西岸沿いに整備された散策ルート。
全長は700mほどですが、途中の浅野川大橋〜中の橋間にある主計町茶屋街、暗がり坂などにも寄り道を。

鏡花のみち途中、梅ノ橋近くには『義血侠血』』(ぎけつきょうけつ)のヒロイン、瀧の白糸をかたどった瀧の白糸像、牧村三枝子の「加賀友禅」をテーマにしたご当地ソング『友禅流し』(平成元年/作詞・水木かおる、作曲・乙田修三)の歌碑が立っています。

対岸のひがし茶屋街寄りの沿道は、ひがし茶屋街の端で幼少期を過ごした徳田秋聲から「秋聲のみち」と呼ばれています。

鏡花のみち
名称 鏡花のみち/きょうかのみち
所在地 石川県金沢市並木町
電車・バスで JR金沢駅から周遊バスで10分、橋場町下車、すぐ
ドライブで 北陸自動車道金沢東ICから約4.6km
駐車場 東山河畔観光駐車場(14台)・東山観光駐車場(15台)/有料
問い合わせ 金沢市文化財保護課 TEL:076-220-2469/FAX:076-224-5046
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

浅野川大橋

金沢市街を流れる浅野川に架かる初代の橋は、犀川(さいがわ)と同様に1594年(文禄3)年、加賀藩・初代藩主、前田利家が北国街道に架橋したもの。現存するレトロな橋は、国道359号の橋ですが大正11年に造られたコンクリート製のアーチ型。犀川大橋

中の橋

浅野川大橋の下流側に架かる歩行者専用の木造の橋が中の橋。東山から主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)に通うには便利な橋です。藩政時代の末期に住民が有料の「一文橋」として架けたのが始まり。昭和28年の大水で流出しましたが昭和50年に再建されて

梅ノ橋

浅野川大橋の上流側に架かる木造風の歩行者専用橋が梅ノ橋。明治43年に架けられたのが初代の橋です。「廓の客の一人が言いだしてかけた、廓へのかよい橋である」と作家の井上雪が『廓のおんな』に書いているとおり、ひがし茶屋街へと歩くには最適な橋になっ

瀧の白糸像

瀧の白糸像

石川県金沢市並木町、浅野川の河畔にある泉鏡花(いずみきょうか)の出世作『義血侠血』』(ぎけつきょうけつ)のヒロイン、瀧の白糸をかたどった像が瀧の白糸像。明治27年に発表された泉鏡花の『義血侠血』は、のちに『瀧の白糸』の名目で上演され、新派の

泉鏡花記念館

明治の中頃から、大正、昭和にかけて300編あまりの作品を発表し、徳田秋聲、室生犀星と並んで「金沢三大文豪」にも数えられる泉鏡花の足跡を紹介するのが泉鏡花記念館。泉鏡花記念館は鏡花の生家跡(金沢下新町23番地)に建てられ、作品紹介にとどまらず

主計町茶屋街

金沢の庶民が通った花街(はなまち)が浅野川沿いにある主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)。戦前まで鼻の下を伸ばした男たちは、中の橋をいそいそと渡り、人目に付かないように「暗がり坂」の石段を歩いて、主計町に通ったのだとか。美しい街並みは金沢市

久保市乙剣宮

久保市乙剣宮

石川県金沢市下新町、商家が並ぶ尾張町に鎮座する古社が久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)。江戸時代には卯辰山の真言宗金剛寺と神仏習合でしたが、明治初年の神仏分離で、卯辰山(うたつやま)から現在の地に遷座したもの。祭神は素戔嗚命(すさのおの

天神橋

天神橋

石川県金沢市を流れる浅野川に架る橋長48m、幅13mのアーチ橋が天神橋。昭和28年7月1日の浅野川の洪水で流出し、昭和30年に橋脚のない構造が採用され、架橋された鉄骨造タイドアーチ式無橋脚橋(ローゼ橋)。卯辰山(うたつやま)の稜線と調和する

 

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