毛越寺

毛越寺・本堂

「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産のひとつとなっているのが岩手県平泉町の毛越寺(もうつうじ)。嘉祥3年(850年)、慈覚大師(円仁)が中尊寺とともに開山した古刹で、「毛越寺境内 附 鎮守社跡」として国の特別史跡、さらに浄土庭園は「毛越寺庭園」として国の特別名勝になっています。

奥州藤原氏の栄華を今に伝える

毛越寺・山門
山門

奥州藤原氏2代の藤原基衡(ふじわらのもとひら)により再建され、3代・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の時代には堂塔40、僧坊500を越える大寺院となり隆盛を極めました。
毛越寺(金堂円隆寺)が建てられたのは、藤原基衡の治世の久寿2年(1155年)頃。

平家が栄華を極めた平安時代の後期、奥州藤原氏が館を置いた平泉は、平安京に次ぐ人口を誇り、仏教文化が花開く大都市になっていたのです。

平家が没し、源頼朝が鎌倉に幕府を開いて以降も、東大寺の再建に使う鍍金も、源頼朝が奉じた1000両に対して、5000両を供するなど朝廷との直接的な関係を維持し、幕府と対立しますが、毛越寺、中尊寺は鎌倉幕府とも良好な関係を続けています。
その証拠として、文治5年(1189年)には、源義経を匿(かくま)ったために幕府軍の攻撃を受け、奥州藤原氏は滅亡しますが、鎌倉幕府は、正応元年(1288年)に中尊寺金色堂に覆堂を付け、嘉元2年(1304年)には中尊寺経蔵を修理しています。

そんな毛越寺ですが嘉禄2年(1226年)の火災で円隆寺金堂焼失、さらに天正元年(1573年)、葛西氏と大崎氏の兵火で南大門、観自在王院を焼失(2つの阿弥陀堂がありましたが、舞鶴が池のみ現存)、現在は18坊を残すのみとなっています。

江戸時代初期の寛文5年(1665年)には、徳川幕府と天台宗との強い結びつきから、中尊寺とともに上野東叡山寛永寺の末寺となっています。

毛越寺・開山堂
開山堂

極楽浄土の世界を再現した浄土庭園

毛越寺・浄土庭園
浄土庭園

境内の浄土式庭園は、3000坪の広さで大泉が池を中心に平安時代の作庭様式を残す貴重なもの。
北側の塔山と呼ばれる小山を借景にし、大泉が池の州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石などを配しています。

大泉が池には、中島が二島、池泉の東南岸に一ヶ所、南側に三ヶ所の出島が造られています。
二つある中島の大きな方の中島のほぼ正面に金堂跡があり、鐘楼跡と鼓楼跡が残されています。
作庭当初は、中島から南大門に反り橋を架けて繋いでいたと推測できます。
中島の先には金堂円隆寺跡があり、宇治・平等院鳳凰堂のような浄土庭園が広がっていたのです。

浄土庭園は金堂円隆寺が正面。
つまりは仏様の目線でつくられているので、金堂円隆寺側からの眺めもチェックしておきましょう。

再建された常行堂の脇には遣水(やりみず)も築かれています。

平安様式の本堂(本尊は平安時代の作という薬師如来)は平成元年の再建。

元禄2年5月13日(1689年6月29日)、平泉の高館(たかだち=高館義経堂を参照)を訪れた芭蕉は悲運の義経主従を偲び「夏草や 兵どもが 夢の跡」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)と詠んでいます。
山門から本堂へ向かう途中の右手には、芭蕉句碑が立っています(芭蕉真筆句碑と副碑、新渡戸稲造が訳した英文の句碑の3つの句碑があります)。

「平泉 – 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして中尊寺などとともに世界文化遺産に登録。
また、慈覚大師が開いた、松島・瑞巌寺、山寺・立石寺、平泉・中尊寺と毛越寺の4寺には、松尾芭蕉も奥の細道で訪れており、「四寺廻廊」としてPRしています。

なお、毛越寺では、本尊・薬師如来のご宝前で結婚式を挙げる「仏前結婚式」も可能です。
浄土庭園での前撮り写真も人気なのだとか。

浄土庭園・芭蕉句碑
英語で記された芭蕉句碑
毛越寺
名称 毛越寺/もうつうじ
所在地 岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
関連HP 毛越寺公式ホームページ
電車・バスで JR平泉駅から徒歩10分
ドライブで 東北自動車道一関ICから約8km
駐車場 平泉町営毛越寺駐車場(350台/有料)
問い合わせ 毛越寺 TEL:0191-46-2331/FAX:0191-46-4184
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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