中尊寺

嘉祥3年(850年)、慈覚大師(円仁)が開山した平泉の名刹が中尊寺。天台宗東北大本山で、山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。長治2年(1105年)、奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が21年の歳月を費やし堂塔40、僧坊300など建立し、大寺院として栄華を極めました。世界遺産の構成資産にもなっています。

奥州藤原文化を今に伝える金色堂

中尊寺
杉並木が美しい表参道の月見坂
中尊寺
本尊の釈迦如来を安置する本堂は明治42年の再建

永保3年(1083年)に勃発した後三年の役で、藤原清衡は妻子を殺害され、その後奥州・平泉へと移ります。
長治2年(1105年)に、中尊寺の造営に着手し、天治元年(1124年)8月20日、金色堂上棟。
さらに大治元年(1126)3月24日に大伽藍が落慶しています。

その後、藤原基衡、藤原秀衡、藤原泰衡の奥州藤原4代の栄華とともに繁栄した寺院となったのです。
文治3年(1187)2月に、源義経が平泉に潜伏していることが源頼朝の知るところとなり、泰衡に義経追討の宣旨下ります。
文治5年(1189)閏4月30日、義経は泰衡に攻められ、衣河館にて自害しますが、その後泰衡も頼朝の奥州征伐を受け、頼朝は平泉へと入り、泰衡は出羽国比内郡で家臣に討たれて奥州藤原家は滅亡します。

奥州藤原氏の滅亡後の建武4年(1337年)、堂宇の多くを焼失していますが、宝形造りの阿弥陀堂・金色堂は往時のままに残されました。

江戸時代になって幕府は天海大僧正の天台宗と密となり、寛文5年(1665年)には東叡山寛永寺の直末寺となり、現在に至っています。

境内の讃衡堂(宝物収蔵庫)には国宝や重要文化財300点余りの貴重な寺宝が収蔵されています。

境内全体が国の特別史跡で、世界遺産「平泉‐仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産にもなっています。

中尊寺
国宝の金色堂は覆堂に覆われています
中尊寺
金色堂の背後にある経蔵は国の重要文化財

松尾芭蕉『奥の細道』と中尊寺

元禄2年(1689年)には、『奥の細道』途中の芭蕉も立ち寄り「五月雨の 降りのこしてや 光堂」の句を詠んでいます。
江戸・深川を出発してから44日目、5月13日(新暦6月29日)に奥州平泉を訪れ詠んだのがこの句。
500年経っても光堂は色あせずに美しいと詠んだ芭蕉ですが、平泉の荒廃ぶりに驚き、「三代の栄耀(えいよう)一睡(いっすい)のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す」と記しています。
この「大門の跡」は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に「二階惣門」と記された南大門跡と推測されています。
慈覚大師が開いたという伝承のある奥州4寺(松島・瑞巌寺、山寺・立石寺、平泉・毛越寺、中尊寺)は、すべて松尾芭蕉も奥の細道で訪れており、みちのく古寺巡礼「四寺廻廊」としてPRしています。

中尊寺
名称中尊寺/ちゅうそんじ
Chusonji Temple
所在地岩手県西磐井郡平泉町衣関202
関連HP中尊寺公式ホームページ
電車・バスでJR平泉駅から岩手県交通バス中尊寺・水沢行きで4分、中尊寺下車、徒歩15分。またはJR一ノ関駅から岩手県交通バス中尊寺・水沢行きで22分、中尊寺下車
ドライブで東北自動車道平泉前沢ICから約4km
駐車場町営中尊寺第1・第2駐車場(350台/有料)
問い合わせ中尊寺 TEL:0191-46-2211/FAX:0191-46-2216
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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