高松城本丸

二の丸から鞘橋(さやばし)を渡ると本丸です。本丸虎口を経て本丸へと入る構造になっています。本丸には東端に天守、北面に中川櫓と呼ばれる櫓門と中櫓、北西隅には矩櫓(かねのやぐら)、南西隅には地久櫓(ちきゅうやぐら)が建ち、これらを多聞(たもん)でつなぐ構造になっていました。

本丸には天守のほか、地久櫓、中川櫓がそびえていた

天守台から内堀、水門、瀬戸内海眺望
天守台の石垣

生駒氏の時代や松平氏の初期には本丸に御殿があったことが絵図から判明していますが、御殿はその後、二の丸、三の丸へと移されています。

本丸の虎口と天守台の間(本丸北東側)に所在した中川櫓は絵図からは平櫓だったと推測されています。
本丸の南西に位置していた地久櫓は二層の櫓でした。

天守は、松平頼重が1670(寛文10)年に3層5階(3層4階+地下1階)に改築しています。
地上約27mと四国最大級の規模を誇った天守ですが明治17年に老朽化で取り壊され、今では天守台の石垣だけが復元されています。

高松城本丸
名称高松城本丸/たかまつじょうほんまる
所在地香川県高松市玉藻町2-1
関連HP高松城(玉藻公園)公式ホームページ
電車・バスでJR高松駅から徒歩3分
ドライブで高松自動車道高松中央ICから約6km
駐車場玉藻公園駐車場(57台/無料)
問い合わせ玉藻公園管理事務所 TEL:087-851-1521/FAX:087-823-6390
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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