高知県長岡郡本山町本山にあるミュージアムが、大原富枝文学館。大正元年、高知県長岡郡吉野村(現・本山町)に生まれた小説家で芸術院会員だった大原富枝。生原稿など貴重な資料の展示に加え、代表作『婉という女』(第14回毎日出版文化賞、第13回野間文芸賞受賞作)にスポットを当てて大原富枝の世界を紹介。
『婉という女』で知られる大原富枝の世界を紹介
大原富枝文学館の建物は、生前に大原富枝の指導で建設されたもので、寄贈の資料約2万点を収蔵。
そのうち160点ほどを常設展示しています。
代表作の『婉という女』は、土佐藩家老で、手結港(香南市)、山田堰(香美市)、津呂港(室戸市)などの土木工事に手腕を発揮した野中兼山(のなかけんざん)とその娘・野中婉(土佐藩の女医)の話。
野中兼山は築港の建設などに才を発揮しましたが、郷士を厚遇、重い課役などを理由に政敵からの弾圧で失脚。
野中兼山自身は3ヶ月後に吐血して死去しているほか、一族は男系が絶えるまでの40年もの間、宿毛に幽閉されているのです。
昭和19年、大原富枝は野中婉自筆の書簡を書き写し、それを元に小説化した土佐らしい作品。
『婉という女』は、今井正監督、岩下志麻主演で映画化もされています。
香美市土佐山田町中組の野中神社(お婉堂)は、野中兼山などの霊を祀るため野中婉らが創建した神社。
野中兼山自身は播州・姫路(現・兵庫県姫路市)出身ながら本山町の帰全山公園に銅像が立つのは、帰全山に野中兼山の母・秋田万(まん)が葬られているから。
現在の本山町は野中兼山の所領で、慶安4年(1651年)、66歳でこの世を去った母・万を、儒学の礼に従って直方体の棺に母の遺体を入れ、土葬し、3年間の喪に服しています。
墓所となった帰全山は、兼山の友人で儒学者・山崎闇斎(やまざきあんさい=崎門学の創始者)が、中国の古典から引用した「父母全生之、子全而帰之、可言孝矢」から名付けられたもの。
大原富枝文学館 | |
名称 | 大原富枝文学館/おおはらとみえぶんがくかん |
所在地 | 高知県長岡郡本山町本山568-2 |
関連HP | 大原富枝文学館公式ホームページ |
電車・バスで | JR大杉駅から嶺北観光バス田井行きで16分、本山プラチナセンター前下車、徒歩1分 |
ドライブで | 高知自動車道大豊ICから約10km |
駐車場 | 本山町プラチナセンター駐車場 |
問い合わせ | 大原富枝文学館 TEL:0887-76-2837/FAX:0887-76-2837 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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