智恩寺(切戸文殊)

智恩寺

天橋立の入口、宮津市文殊切戸にある臨済宗妙心寺派の古刹、智恩寺。日本三文殊のひとつに数えられ、「三人集まれば文殊の知恵」でお馴染みの知恵の仏様、文殊菩薩が本尊(秘仏)。「切戸の文殊」、「知恵の文殊」とも呼ばれ、本尊は、1月1日〜3日、1月10日(『文殊堂十日えびす』)、7月24日(『出舟祭』)のだけ御開帳されています。

「切戸の文殊」として親しまれる知恵授けの仏さま

智恩寺
本堂(文殊堂)
智恩寺
多宝塔は国の重要文化財

寺伝によれば、808(大同3)年、平城天皇(へいぜいてんのう)の勅願寺として創建。
文殊信仰の霊場として栄え、謡曲『九世戸』(くせのと)のモチーフになっています。

1657(明暦3)年に改修される本堂(文殊堂)は銅板葺きの宝形造りで、内陣の4本の柱が室町時代の面影を残し、「切戸文殊」として親しまれています。
平成の修理では、正和三年(1314年)、文永七年(1270年)と記された墨書も見つかっています。

1501(明応10)年築の多宝塔は国の重要文化財。

ちなみに三文殊は、大聖寺(亀岡文殊=山形県高畠町)、安倍文殊院(奈良県桜井市)、智恩寺というのが定説ですが、金戒光明寺(京都)を数える場合もあり定かでありません。

文殊堂十日えびす
文殊堂十日えびす

雪舟筆『天橋立図』に見る 中世の天橋立と智恩寺

天橋立図
雪舟筆『天橋立図』(国宝/京都国立博物館蔵)

雪舟筆『天橋立図』は縦89.4cm、横168.5cmという大作。
1501(明応10)年〜1506(永正3)年の間に制作されたと推測されています。
とすれば、雪舟の最晩年、80歳を越えているのに現地に足を運んで、実景を写しているということに。
天橋立の左の付け根に智恩寺が、そして右上の山上に観音霊場として栄えた成相寺が描かれています。
寸法の違う21枚もの紙を貼り合わせた料紙に描き、空や山、海などに朱が入れられていることから、下絵であることがわかります。
徳川将軍家に伝来した際に、本絵は焼失してしまったともいわれていますが、1506(永正3)年に没しているので、未完成だったのかもしれません。

智恩寺 3つのチェックポイント

日本三文殊のひとつ
ご利益は学業成就と入試合格
1月10日の『十日戎』は大賑わい

智恩寺
名称智恩寺/ちおんじ
Chionji Temple
所在地京都府宮津市天橋立文珠切戸466
関連HP智恩寺公式ホームページ
電車・バスで北近畿タンゴ鉄道宮津線天橋立駅から徒歩3分
ドライブで京都縦貫自動車道宮津天橋立ICから約5.3km
駐車場天橋立智恩寺駐車場(100台/有料)・市営天橋立駐車場(540台/有料)
問い合わせ智恩寺 TEL:0772-22-2553/FAX:0772-22-1265
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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