中国地方の瀬戸内海側、山陽道は、現在の岡山県、広島県、山口県の3県。近畿と西国を結ぶ幹線ルート、そして重要な交易ルートの瀬戸内海沿いということもあり、名城が数多いエリアです。100名城に選定されるのは、津山城、備中松山城、鬼ノ城、岡山城、福山城、吉田郡山城、広島城、岩国城、萩城の9城です。
岡山県
古代にはヤマト王権を揺るがす吉備国として栄え(古代日本の四大王国)、近世には岡山藩、津山藩、備中松山藩などが置かれた岡山県。
瀬戸内に臨む古代山城の鬼ノ城(きのじょう)、日本三大平山城の津山城、日本三大山城の備中松山城、そして大名庭園・後楽園(日本三名園)を有する岡山城の4城が、日本100名城に選定されています。
津山城
津山藩の藩庁は、日本三大平山城で美しい石垣が現存
所在地:岡山県津山市山下135
旧国名:美作国(みまさかのくに)
築城年:慶長9年(1604年)、津山藩初代藩主となった森忠政(もりただまさ=本能寺の変で討ち死にした森蘭丸の弟)が築城を開始、13年の歳月をかけて完成
内容:往時は4重5階の層塔型天守がそびえ、60棟もの櫓がそびえていました(櫓の数が最も多い城郭は広島城で76棟、次いで姫路城が61棟)
明治6年の廃城令とともに天守、櫓などの建築物は破却され、現在は石垣が残るのみ
備中櫓(びっちゅうやぐら)、太鼓塀が復元
備考:国の史跡、日本三大平山城
備中松山城
雲海ぬ浮かぶ「天空の山城」には往時の天守が現存
所在地:岡山県高梁市内山下1
旧国名:備中国
築城年:仁治元年(1240年)、承久の乱での恩賞で秋葉重信(あきばしげのぶ)が備中の地頭(じとう)となり砦を築いたのが始まり
内容:山陰と山陽を結ぶ要衝に位置するため、戦国から江戸時代にかけては三村元親(みむらもとちか)、宇喜多直家、小早川隆景(こばやかわたかかげ)らによる争奪戦が展開
江戸時代には備中松山藩お藩庁に
現存する城郭は天和3年(1683年)、時の城主・水谷勝宗(みずのやかつむね)により修築されたもの
備考:国の史跡、現存12天守、日本三大山城
鬼ノ城(きのじょう)
倭国(ヤマト王権)が築いた古代山城
所在地:岡山県総社市奥坂
旧国名:吉備国
築城年:築城時期は不明/一説には天智天皇2年(663年)、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で唐・新羅連合軍に大敗、国内防衛のために築かれたともいわれる古代の城
内容:鬼城山の山頂(標高397m)を取り囲むように山の7合目〜8合目には、高さ5〜6m、幅7〜8mの土塁が延長2.8kmも続いています
鬼ノ城の山麓は、古代吉備の中心部で、瀬戸内海、吉備国防衛のために倭国(ヤマト王権)が築いた古代山城だと推測できます
備考:国の史跡
岡山城
池田氏岡山藩31万5000石の居城
所在地:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
旧国名:吉備国(きびのくに)
築城年:天正元年(1573年)、宇喜多秀家の父・宇喜多直家がそれまでの居城である亀山城(沼城)から石山城(岡山城)に入城、城下町を整備したのが近世城郭としての始まり
内容:豊臣政権下で五大老の要職を務めた宇喜多秀家は、天正18年〜慶長2年(1590年〜1597年)に岡山に本丸を構え、石山城の本丸を二の丸内郭に、それまでの二の丸を西之の丸に直し、二の丸、その西に三の丸を整備し、近世的な城郭に拡充
元和元年(1615年)、池田忠継の弟・池田忠雄が淡路島から入城し、本丸に表書院を設けるなど格式に合わせた拡充を行ない、岡山城の縄張りが完成
池田綱政は後楽園(日本三名園)を築庭
備考:国の史跡・特別名勝
広島県
広島県の日本100名城は、福山藩の藩庁・福山城、広島藩の藩庁・広島城、そして毛利輝元が広島城へ移るまでの間の居城、吉田郡山城の3城。
関ヶ原の合戦時、西国の雄として君臨した毛利家の居城・広島城は、日本三大平城にも数えられています。
福山城
新幹線駅に一番近い天守がそびえる
所在地:広島県福山市丸之内1-8
旧国名:備後国(びんごのくに)
築城年:譜代大名の水野勝成(みずのかつなり=徳川家康のいとこ)に命じて元和5年(1619年)に福山藩10万石の初代藩主として、
内容:慶長20年(1615年)の一国一城令後(『武家諸法度』で新規築城が禁止)に築城された珍しい城ですが、水野家が徳川家に親(ちか)しい譜代大名だったから(水野勝成は、家康と同じ三河国出身で、父の水野忠重は織田信長の配下)
明治24年の山陽鉄道(現・山陽本線)開業時にも、三の丸を東西に横断するように線路が敷設され駅舎が造られています
伏見櫓、筋鉄御門は国の重要文化財
慶長20年(1615年)の一国一城令で廃城に
備考:国の史跡
吉田郡山城
毛利元就(もうりもとなり)の居城
所在地:広島県安芸高田市吉田町吉田
旧国名:安芸国(あきのくに)
築城年:建武3年(1336年)、毛利時親(もうりときちか)が築城
内容:吉田荘(よしだのしょう)を見下ろす、標高400mの郡山の山上にある山城
大永3年(1523年)に毛利元就が入城して、全山を城域に拡大、国人領主の盟主から戦国大名への脱皮を図り、山全体を要塞とする巨大な城郭に改修
備考:国の史跡
広島城
縄張りには黒田孝高(黒田如水)も参加
所在地:広島県広島市中区基町21-1
旧国名:安芸国(広島藩は安芸国と備後国の半分を領有)
築城年:天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)が築城
内容:毛利輝元が、瀬戸内海の交易や毛利水軍を利用できる広島平野に拠点を移し、平城太田川河口デルタの最も広い島(実際には2番目)を選んで城を築いたため広島城という名に(そのため「島普請」とも)
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦後、福島正則が入城し、近世的な城に改築、外郭、城下町を整備
現在の天守は昭和33年に復元されたもの
平成3年に二の丸表御門が、平成6年には二の丸の平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が復元
備考:国の史跡、日本三大平城
山口県
山口県の日本100名城は、岩国城、萩城の2城。
萩城は幕末に山口に藩庁が移されるまで萩藩(長州藩)の藩庁として機能しました。
長州藩(長門国)は山陽道なので、萩城は山陰のイメージもありますが、旧国的には山陽道に属しています。
岩国城
岩国城ロープウエーで登城
所在地:山口県岩国市横山2
旧国名:周防国(すおうのくに)
築城年:毛利一門の吉川広家(きっかわひろいえ=吉川元春の子)が慶長13年(1608年)に築城
内容:三方を錦川に囲まれた天然の要塞に築かれた山城
天守も構えた岩国城ですが、元和元年(1615年)、徳川幕府の一国一城令により、わずか7年で廃城に
現存する天守は昭和37年にの復元
城山山麓の吉香公園と復興天守の建つ山頂とは、岩国城ロープウエーで結ばれています
萩城
幕末まで長州藩(萩藩)の拠点として機能
所在地:山口県萩市堀内2区城内1-1
旧国名:長門国(ながとのくに)
築城年:海に突き出すようにそびえる指月山(しづきやま/標高145m)の山頂と山麓に、毛利輝元(もうりてるもと)が4年の歳月をかけ、慶長13年(1608年)に築城
内容:5層5階の複合式望楼型の天守や御殿を有した本丸、12基の櫓のそびえた二の丸、総門脇に船着き場もあった三の丸と三重に堀をめぐらし、山頂部分がいざという時の要塞の詰丸(山城)という平山城
指月山の山麓(南東麓)の平城部分が指月公園として整備されていますが、そこが城主の日常の生活、政務の場
幕末まで長州藩(萩藩)の拠点として機能
備考:国の史跡、萩城跡は、城下町の「堀内地区」(重要伝統的建造物群保存地区)とともに、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産
日本100名城 山陽9城 | |
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