出羽街道中山越

出羽街道中山越

宮城県大崎市、鳴子温泉から出羽国新庄領へ向かう出羽街道中山越(でわかいどうなかやまごえ)は、藩政時代に交通の要衝だった場所。吉岡宿(現・大和町)で奥州街道から分岐し、新中田、岩出山、尿前の関( しとまえのせき)を経て堺田(現・山形県最上郡最上町)に至る脇往還の一部です。中山峠の頂上に堺田集落があり、堺田越との呼称も。

芭蕉も歩いた歴史街道が現存

日本海と太平洋を分ける中央分水嶺で、脊梁山脈の奥羽山脈(おううさんみゃく)を横断する峠越えの道の中で、堺田分水嶺が最も標高が低いため、古代からの重要な交易ルートとなっていました。
藩政時代には最上川舟運・そして西廻り航路(北前船)の酒田湊(現・山形県酒田市)を結んだ貴重な街道となっていたのです(江戸時代の物流は日本海側がメインルートでした)。

『奥の細道』で芭蕉も通った出羽街道中山越は、尿前の関から堺田にある「封人の家」(ほうじんのいえ)までの約10kmが復元整備されています(途中の2kmは国道の路側を歩きます)。
尿前の関~大深沢越、中山宿跡〜封人の家は、昔と変わらない山中の細道を、芭蕉を偲んで歩くことができます。

芭蕉がここを通ったのは、梅雨空の下、元禄2年5月15日(1689年7月1日)のこと。
峠越えの関所は尿前の関(仙台藩)、笹森口留番所(新庄藩)。
芭蕉と曾良は、通行手形を持っていなかったため尿前の関の通過にも苦労をしていますが、実際に峠道を歩くと、当時の中山越にいかに旅人が難儀をしたかがよく分かります。
仙台藩にとっては要衝で、しかも参勤交代には使われない脇往還だったため、沢を越える道にも橋を架けることなく、旅人には難所として知られていました(現在、小深沢、大深沢の沢越えのポイントには、板の橋が架けられています)。
時間がなければ入口部分だけでも探勝を。

峠越えの旧道は「出羽仙台街道中山越」の名称で国の史跡に指定。

名称 出羽街道中山越/でわかいどうなかやまごえ
所在地 宮城県大崎市鳴子温泉尿前
関連HP 大崎市公式ホームページ
電車・バスで JR陸羽東線鳴子温泉駅からタクシーで5分
ドライブで 東北自動車道古川ICから約30.2km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 大崎市教育委員会鳴子支所 TEL:0229-82-2101/FAX:0229-83-3925
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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