中山茶臼山古墳

中山茶臼山古墳

北麓には吉備津神社、東麓には吉備津彦神社、南麓には尾上車山古墳(国の史跡)があるという古代吉備国の聖なる山が岡山市の「吉備の中山」。その吉備の中山に造られた墳長120mの前方後円墳が中山茶臼山古墳。宮内庁は「大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)」として吉備津彦命の陵墓に治定しています。

「吉備の中山」の山上に築造された大型の前方後円墳

墳丘長105mの前方後円墳。
古墳時代前期の3世紀後半から4世紀頃に山上の尾根を利用して築造されたと推定されますが、発掘調査などがないため、築造年代の特定は困難です。

『日本書紀』に四道将軍(しどうしょうぐん)のひとりとして吉備津彦命が西道に派遣されたとあり、『古事記』には吉備国平定を果たしたと記されていますが、陵墓に関しての記載がありません。

吉備津神社の社伝によれば、吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮を建てて住み、281歳で亡くなり吉備の中山の頂に葬られたとあり、宮内庁もこれを根拠に吉備津彦命の陵墓参考地としているようです。
宮内庁の管理地のため、立ち入りは不可で、用意された拝所から遥拝するしきたりに。
岡山県古代吉備文化財センターの東側に古墳の登り口があり、長い石段を上った先に南側から陵墓を遙拝する拝所があります。

近くには穴観音と呼ばれる岩石群もありますが、原始的祭祀行事の場と伝えられています。
古墳の南側の広場からは岡山平野を一望に。
吉備津神社〜中山茶臼山古墳〜吉備津彦神社を結ぶ中国自然歩道(吉備路ルート)もあり、吉備津神社から古墳まで徒歩30分。

ちなみに、「吉備の中山」は、吉備津彦命を祭神とする備中国一之宮・吉備津神社、備前国一之宮の吉備津彦神社の御神体にもなっています。

中山茶臼山古墳
名称中山茶臼山古墳/なかやまちゃうすやまこふん
所在地岡山県岡山市北区吉備津
関連HP岡山市公式ホームページ
電車・バスでJR吉備津駅から徒歩30分
ドライブで中国自動車道吉備スマートICから約5.5km。岡山ICから約9km
駐車場古代吉備文化財センター駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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