浦添城

浦添城

沖縄本島の南部と中部のちょうど境目、浦添市の琉球石灰岩の丘陵地に位置し、東シナ海を一望にするグスク(城)が浦添城(うらそえじょう)。初期琉球王国の重要な城郭で国の史跡になり、現在も発掘調査が進められており、城壁の一部が復元されています。隆起珊瑚礁が長さ約400m続く断崖上で景観もなかなか。

首里に王都が移るまでの重要な城で、琉球王国発祥の地

琉球の正史では初代琉球国王とされる舜天(しゅんてん/在位1187年〜1237年、22歳で琉球国中山王に即位)の築城とされますが定かでありません。

発掘調査により、14世紀頃には高麗系瓦葺きの正殿を中心に、堀や城壁に囲まれた巨大なグスク(城郭)だったことが判明しています。
残念ながら沖縄戦で城壁の大部分を失っていますが、復元整備事業が進められています。

周辺(現在の浦添市仲間地区)には王陵、寺院、有力者の屋敷、大きな池、集落があり、その後に生まれる琉球王都・首里の原型が完成していたと推測されているのです。

王都が首里に移された後に、城(グスク)としての機能を失いますが、16世紀には(薩摩藩の侵攻まで)浦添家の居館がここにありました。
浦添城近く(北側崖下)にある浦添ようどれは、琉球王国の陵墓です。

浦添グスクと浦添ようどれの歴史を解説する「浦添グスク・ようどれ館」があるので、ぜひお立ち寄りを。
「うらおそい歴史ガイド友の会」に申し込めば、有料で「浦添グスク・ようどれ探検(1~5名)」のガイドも可能です。

取材・画像協力/沖縄観光コンベンションビューロー

浦添城
名称浦添城/うらそえじょう
所在地沖縄県浦添市仲間2丁目
ドライブで沖縄自動車道西原ICから約3.2km
駐車場20台/無料
問い合わせ浦添市文化財課 TEL:098-876-1234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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