住吉大社

住吉大社

大阪市住吉区に鎮座する住吉大社は、社伝によれば、神功皇后が朝鮮半島の新羅に出兵した際に住吉三神を祀ったことに始まるという古社。全国2300の住吉社の総本社で摂津国一の宮にもなっています。古代の大阪港である住吉津、難波津からの航海を守る神様で、遣唐使船にも住吉神が祀られていました。『なにわ七幸めぐり』の一社です。

創建は神功皇后の新羅出兵にまで遡るという古社

住吉大社
明治時代の本殿。国宝となった今も変わりません
住吉大社
明治時代の反橋は神様の渡る道だったため手前に人道橋が

祭神は、第一本宮に底筒男命(そこつつのおのみこと)、第二本宮・中筒男命(なかつつのおのみこと)、第三本宮・表筒男命(うわつつのおのみこと)で、以上の3神が「住吉大神」(すみよしのおおかみ)。
さらに第四本宮に神功皇后(じんぐうこうごう=息長足姫命/おきながたらしひめのみこと)が祀られています。

古代には航海安全の神として信仰されましたが、平安時代には和歌の神となって『源氏物語』などにも登場しています。
さらに鎌倉時代以降は武家にも尊崇され、寛正2年(1461年)、足利義政参詣、天正17年(1589年)、豊臣秀吉が大政所の延命治病を祈願など歴代天皇や武将の参詣祈願も数多く、元和9年(1623年)には、2代将軍・徳川秀忠が参詣しています。

摂津国一の宮だけあって、歴代将軍も尊崇

住吉大社
4つある本殿すべてが国宝に
住吉大社
表筒男命を祀る第三本宮

第8代将軍・足利義政は社殿造営を細川勝元に命じ、さらに、慶長11年(1606年)には豊臣秀頼が社殿を再建しています。
西国大名も参勤交代時には住吉大社に参拝し、また元禄7年(1694年)には松尾芭蕉が「升の市」(宝之市)を訪れ、「升かふて分別かわる月見かな」と詠んでいます。

芭蕉はその日、長谷川畦止(はせがわけいし)亭で十三夜の月見を予定していましたが、身体の不調で参加を断念。
それで「升の市」に出かけて名物の升を買ったら、世帯気が生まれて宿に帰ったよとユーモラスに詫びているのです。
「升の市」(宝之市)は5世紀頃に境内に立った日本最古の市といわれ、江戸時代には「升の市」として賑わいをみせました。

見事な反橋を渡って本殿へ

住吉大社
池に架かる反橋
住吉大社
往時には神橋でしたが、今は参道に

第一本宮から第三本宮まで大阪湾を向いて縦に、第四本宮は第三本宮の横に配置する本殿の配置は、ここだけという珍しいもの。

江戸時代後期の文化7年(1810年)再建の本殿(第一本宮〜第四本宮)は直線的な造りが美しい住吉造りで、すべてが国宝に指定されています。
柱が四角の鳥居も「住吉鳥居」と呼ばれる独自のスタイル。

慶長12年(1607年)、豊臣秀頼が寄進した石舞台、東楽所、西楽所、南門は、国の重要文化財。
石舞台は、厳島神社や四天王寺とともに「日本三大舞台」に数えられています。

池にかかる反橋(そりはし)は、昭和56年の再建ですが、石造の脚・梁部分は慶長年間(1596年〜1615年)の造営。
かつてはこの橋は神様が渡る神橋とされ、その横に参拝者が渡る橋が架橋されていました。
反橋のかかる池はかつての海の跡ともいわれ、往時には波打ち際に建っていたという歴史を物語っています。

参道に並ぶ多数の石燈籠は、江戸時代、明治時代に廻船問屋などが航海の安全を祈願して奉納したもの。
その数は600基にも及んでいます。

住吉大社
住吉大社
授与品の土人形「招福猫」(まねきふくねこ)
住吉大社
絵馬も種類が豊富です

住吉大社のおもな年中行事

住吉大社
白馬神事
住吉大社
住吉祭

7月30日〜8月1日には例祭である『住吉祭』が斎行され、8月1日には住吉神の神霊を乗せた神輿が堺の宿院頓宮(堺市堺区宿院町東)までの渡御が行なわれます。
松尾芭蕉が俳句を残した『宝之市神事』は、10月17日。
初詣の人出は大阪随一で、全国でもTOP10に入る賑わいをみせます。

1月4日/踏歌神事(とうかしんじ)=古くは朝廷で行なわれていた新年の行事。神事後には餅撒き行事が行なわれ、「福の餅」を授かると幸福を得るとして、多くの参詣者で賑わいます。
1月7日/白馬神事(あおうましんじ)=神馬「白雪号」が各本宮を巡拝した後、境内を駆け巡る神事。年の初めに白馬を見ると邪気が祓われます。
1月10日/市戎大国社例祭(いちえびすだいこくしゃ)=大阪最古のえびす祭り。
1月13日/御結鎮神事(みけちしんじ)=弓矢で除魔招福を祈願する神事。
6月14日/御田植神事=神田で盛大に田植えを催し、五穀豊穣を祈願します。「住吉の御田植」として国の重要無形民俗文化財に指定。
7月30日~8月1日/住吉祭=大阪中をお祓いする「お清め」の意義があるのが『住吉祭』です。
10月17日/宝之市神事=御神田で育った稲穂を刈り取り、五穀とともに神様にお供えする特殊神事。門前の住吉公園にてフリーマーケットも開催。

住吉大社で結ばれる『住吉結び』

大名行列の先導を担った供奴(ともやっこ)を先導役にした花嫁行列が本殿へと進み、神前で挙式を行なうというもの。
詳細は、住吉大社吉祥殿に問い合わせを。

住吉大社
名称住吉大社/すみよしたいしゃ
Sumiyoshi Taisha Shrine
所在地大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
関連HP住吉大社公式ホームページ
電車・バスで阪堺電気軌道阪堺線(路面電車)住吉鳥居前駅からすぐ、住吉公園駅から徒歩2分。南海本線住吉大社駅から徒歩3分、南海高野線住吉東駅から徒歩5分
ドライブで阪神高速15号堺線玉出出口から約2.7km
駐車場南駐車場(200台/有料)
問い合わせ住吉大社 TEL:06-6672-0753/FAX:06-6672-0110
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
日本三大住吉

日本三大住吉とは!?

『日本書紀』によれば、神功皇后が新羅出兵の際に、神託もあって戦争に勝利したと記されるのが底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神。全国に600社ある住吉神を祀る神社の総本

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