大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内でもっとも巨大な石が、桜門枡形巨石の蛸石。大阪城本丸の南端、内堀(空堀)を渡った桜門(国の重要文化財)の枡形にある巨石で、縦5.5m、横11.7m、厚さ75cm、面積は36畳(59.43平米)、重さは108tという大きなもの。
大坂城に運ばれた巨石のうちナンバーワンは、本丸正門に!
大阪城の巨石、上位10位のうち、蛸石、肥後石、振袖石のTOP3など7つの石は岡山藩藩主・池田忠雄(いけだただかつ=母は徳川家康の次女・督姫で、徳川家康の外孫)が担当して犬島(岡山市内唯一の有人離島)などから切り出したもの。
蛸石も寛永元年(1624年)、岡山藩藩主・池田忠雄の命で大坂城に運ばれたています。
石垣が組まれた当初は、この上に多聞櫓(たもんやぐら)が連なり、大坂城本丸正面の防御を固めていました。
多聞櫓は慶応4年(=明治元年、1868年)、明治維新の大火で焼失しています。
江戸城の石の運搬だけでも300隻ほどの舟が沈んだとされているので、徳川時代の大坂城築城にあたっても、数多くの舟が運搬途中に沈没したと推測できます。
それでも巨石を運ぶのは、諸大名の誇りと徳川将軍家への忠誠を示すことにあり、ぎゃくに徳川家にとっては、それまでは豊臣家の中核だった大坂城にそれまでになかった巨石を配することで、権威を見せつけたのです。
それが証拠に、巨石はいずれも目に付きやすい場所に配されています。
蛸石の場合も、桜門をくぐる直前、多門櫓の下にデンと据えられた巨石が目に付き、徳川幕府の権力の強固さを認識できる仕組みに。
現在も大阪城の石垣の修復には犬島の石が切り出され、大阪城の石垣が美しいのは毎年、丁寧に修復されているから。
大阪城の巨石ランキングは、昭和49年、大阪城天守閣館長・渡辺武さん(歴史学者で織豊時代研究の専門家)が発表したもので(その後、基準の変更により改訂版も発表)、以前は京橋口の肥後石が第1位とされていたのが、現在では蛸石に。
蛸石という名の由来は、左下の石の表面の模様からだと推測されています。
大坂城(大阪城公園)の巨石ランキング TOP10
順位 | 巨石の名称 | 場所 | 高さ | 幅 | 表面面積 | 担当藩主 |
1位 | 蛸石 | 桜門桝形虎口 | 5.5m | 11.7m | 59.43平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
2位 | 肥後石 | 京橋門桝形虎口 | 5.5m | 14.0m | 54.17平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
3位 | 振袖石 | 桜門桝形虎口 | 4.2m | 13.5m | 53.85平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
4位 | 大手見付石 | 大手門桝形虎口 | 5.1m | 11.0m | 47.98平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
5位 | 大手二番石 | 大手門桝形虎口 | 5.3m | 8.0m | 37.90平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
6位 | 碁盤石 | 桜門桝形虎口 | 5.7m | 6.5m | 36.50平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
7位 | 二番石 | 京橋門桝形虎口 | 3.8m | 11.5m | 36.00平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
8位 | 大手三番石 | 大手門桝形虎口 | 4.9m | 7.9m | 35.82平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
9位 | 四番石 | 桜門桝形虎口 | 6.0m | 5.0m | 26.90平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
10位 | 竜石 | 桜門桝形虎口 | 3.4m | 6.9m | 23.00平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
大阪城公園・蛸石 | |
名称 | 大阪城公園・蛸石/おおさかじょうこうえん・たこいし |
所在地 | 大阪府大阪市中央区大阪城3-11 |
関連HP | 大阪城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR・大阪メトロ森ノ宮駅から徒歩10分 |
ドライブで | 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m |
駐車場 | 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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