犬飼石仏

犬飼石仏

大分県豊後大野市を流れる大野川西岸の丘陵中腹に彫られた、平安末期とも鎌倉時代の作とも伝わる石仏が犬飼石仏(いぬかいせきぶつ)。阿蘇凝灰岩の岩壁には、不動明王像を中尊とし、左右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ)を従えた不動三尊が彫られています。国の史跡になっています。

昭和6年、与謝野晶子が訪れた際に詠んだ歌碑も立つ

高さ3.76mの不動明王座像と、高さ1.7mの脇侍の立像2体(矜羯羅童子、制吒迦童子)が半肉彫りになっており、後世になり、石仏上方の岩壁には「龍伝山」、お堂の右岸側面に「南無大師遍照金剛」の文字が彫られています。

敷地内には南北朝時代の永徳2年(1382年/南朝=弘和2年)の名が刻まれた石造五輪塔、龕(がん)のミニ五輪塔群、「犬飼の 山の石佛 龕(ずし)さえも ともに染めたり 淡き朱の色」と刻まれた与謝野晶子の歌碑もあります。

おおいた豊後大野ジオパークのジオサイトにもなっています。

与謝野晶子と大分

別府の実業家・油屋熊八(別府、由布院の観光開発に尽力、亀の井バスを設立/「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案)の招きに応じて、与謝野晶子・鉄幹(与謝野寛)夫妻は昭和6年10月1日、海路で別府港に入港し、亀の井ホテル(現・別府亀の井ホテル)泊。
10月2日、久住郵便局長・工藤元平の案内で大野川沿いに竹田に向かう途中、犬飼石仏に立ち寄っています。
その後、竹田では久住町出身の門下生・後藤是山に会い、城下町竹田を巡っています。
10月4日大分市の万寿寺・女学校で講演。
10月5日由布院観光。
10月6日女子師範学校で講演。
10月8日別府高等女学校(現・大分県立別府鶴見丘高校)で講演。
10月9日中津・宇佐神宮訪問。
10月10日中津高等女学校(現・大分県立中津北高校)での講演後別府に戻り、夜の大阪商船(現・商船三井グループ/フェリーさんふらわあ)の「菫丸」(すみれまる/昭和4年就航)に乗船、大阪へ。

犬飼石仏
名称犬飼石仏/いぬかいせきぶつ
所在地大分県豊後大野市犬飼町田原
関連HPぶんご大野里の旅公社公式ホームページ
ドライブで大分自動車道大分米良ICから約20km
駐車場10台/無料
問い合わせぶんご大野里の旅公社 TEL:0974-35-3601
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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