【なかもりトピックス】vol.7 瀬戸内にメルヘン世界 うさぎのアイランド・大久野島へ
島数の多い”瀬戸内しまなみ海道”のなかで周囲4kmの小島に700羽以上の野生のウサギが棲むと聞き、そのメルヘンチックな「大久野島」を訪ねて見た。山陽新幹線・三原駅下車、JR呉線で竹原駅から平安期の…
島数の多い”瀬戸内しまなみ海道”のなかで周囲4kmの小島に700羽以上の野生のウサギが棲むと聞き、そのメルヘンチックな「大久野島」を訪ねて見た。山陽新幹線・三原駅下車、JR呉線で竹原駅から平安期の…
牟佐大塚古墳(円墳・直径30m)、こうもり塚古墳(前方後円墳/墳長100m)と並び、岡山県三大巨石墳に数えられるのが倉敷市にある箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)。6世紀後半〜7世紀に築造された円墳で、直径54m。明治3…
岡山県倉敷市にある弥生時代後期(2世紀後半~3世紀前半)に造営された墳丘墓が楯築遺跡(たてつきいせき)。弥生時代も後半になると階級社会となっており、特別の墓に葬られるような身分・地位が生まれて、首長墓が築かれたのです。出…
備中高梁(岡山県高梁市)にある古刹、薬師院。西国三十三所の観音巡りを創始した花山法皇(かざんほうおう)の開基で、寛和2年(968年)、原村(現在の備中高梁駅周辺)に創建されたと伝えられています。天領時代の慶長5年(160…
湯原温泉郷(岡山県真庭市)のひとつ下湯原温泉は温泉の泉源探査事業で、平成元年に地下27mから湧出した新しい温泉。毎分600リットルのアルカリ性単純温泉(39度)が湧出し公共浴場の「下湯原温泉ひまわり館」で利用されています…
岡山県真庭市、昭和30年に完成した湯原ダムの直下、旭川(あさひがわ=岡山県を流れる一級河川)の河原にある無料で混浴の露天風呂が湯原温泉砂湯。古代から自由に使っていた湯船を昭和9年の水害後に整備したという歴史ある共同露天風…
岡山県美作市、鎌坂峠(釜坂峠)へと続く旧因幡街道(姫路と鳥取を結ぶ旧街道)の途中にあるのが平尾家。宮本武蔵の姉、おぎんの嫁ぎ先と伝えられている旧家。庭には樹齢450年の天然記念物タラヨウの古木が生い茂る、茅葺きの大きな家…
因州鳥取(現・鳥取県鳥取市)と山陽の藩州赤穂(現・兵庫県赤穂市)を結ぶ旧因幡街道(きゅういなばかいどう)の要衝、旧美作国宮本村(現・岡山県美作市宮本)から鎌坂峠へと続く山道手前にある湧き水が、一貫(壱貫)清水。冷たく清ら…
二天一流兵法の開祖、剣豪・宮本武蔵の生誕の地は播磨生誕説(現・兵庫県高砂市米田町)、美作国宮本村(現・岡山県美作市宮本)誕生説がありますが、岡山県は美作市宮本の平田家が、宮本武蔵生家跡としており、吉川英治の小説『宮本武蔵…
昭和46年、剣聖・宮本武蔵を祀る神社として、宮本武蔵生誕の地という伝承のある美作市の地元奉賛会によって建立されたのが武蔵神社。不敗神話を誇る武蔵にあやかりたいと、スポーツの必勝祈願や受験の合格祈願に訪れる人が多いのが特長…
備中松山城の城下町、備中高梁(岡山県高梁市)で、古い商家の並ぶ本町通りにある高梁きっての豪商・池上氏の館。池上氏は、江戸時代・享保年間に小間物屋から出発、その後両替商、高瀬舟の船主を経て、明治28年から昭和にかけては醤油…
岡山県高梁市成羽町にある、美術館と考古学的な展示の複合ミュージアムが高梁市成羽美術館(たかはししなりわびじゅつかん)。大原美術館の美術品収集を担ったことで知られる地元出身の洋画家・児島虎次郎の顕彰を目的に昭和28年に設立…
明暦3年(1657年)、備中松山藩主・水谷勝隆(みずのやかつたか)が、備中松山城の砦(とりで)の役割を兼ねて奥万田(現・高梁市奥万田町)から移築した真言宗御室派の寺、松連寺(しょうれんじ)。観音堂には豊臣秀吉が朝鮮出兵を…
備中松山藩5万石の城下町、備中高梁(びっちゅうたかはし)。一帯9ha(全長550m)は岡山県指定の町並み保存地区「石火矢町ふるさと村」に指定されています。武家屋敷としての面影を深くとどめる石火矢町(いしびやちょう)と、高…
岡山県高梁市にある岡山県指定の町並み保存地区「石火矢町ふるさと村」の一角にある江戸時代中期から後期にかけて120石から150石取りの中級武士の武家屋敷が旧埴原家(きゅうはいばらけ)。現存する建物は江戸時代中期の築。近習役…
岡山県高梁市にある岡山県指定の町並み保存地区「石火矢町ふるさと村」の一角にある江戸時代後期の天保年間(1830年~1843年)に建てられた中級武士の武家屋敷が旧折井家。160石の馬回り役(大名を護衛する側近)を勤めた武士…
岡山県高梁市にある、銅山経営とベンガラ(紅殻)で財をなした豪農商・西江家の豪邸(備中天領大庄屋)が西江邸。江戸期には代官御用所を兼ねていた西江邸は、現在でも18代目となる西江家の個人邸宅ですが、その一部が一般公開されてい…
岡山県高梁市成羽町の北部に位置する吹屋(ふきや)は、江戸から大正末期まで、銅と赤色の顔料として知られるベンガラ(紅殻)で繁栄した町。中野地区にある広兼家も銅山とベンガラの原料・緑礬(ローハ=鉄鉱石を焼いて生成)の製造で富…