喜多や
江戸や大坂など、伊勢を目ざす長旅の人をもてなしたのが、伊勢の鰻。関東、関西の両方の旅人を納得させるために東西融合の独特の料理法を編み出したのだという。それを今に伝えるのが外宮前の「喜多や」です。使ううなぎは地元産というわ…
江戸や大坂など、伊勢を目ざす長旅の人をもてなしたのが、伊勢の鰻。関東、関西の両方の旅人を納得させるために東西融合の独特の料理法を編み出したのだという。それを今に伝えるのが外宮前の「喜多や」です。使ううなぎは地元産というわ…
全国各地から伊勢を目指す人々をしっかりと支えたのが御師(おんし)と呼ばれる人たち。御師の家は全盛期に伊勢に800軒を数えましたが、明治以降に急速に廃れ、今では唯一、丸岡宗大夫邸(まるおかそうだゆうてい)が残されるのみとな…
俗に「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそまるめて萬金丹(まんきんたん)」と謳われる、伊勢参りを受け入れ、さらに全国にPRした御師(おんし)が広めた伊勢参りの土産の定番が「萬金丹」。漢方の阿仙薬(あせんやく)などを調…
伊勢市街にある筋向橋(すじかいばし)は、伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていたのです。今では川が暗渠(あんきょ)となっていますが、往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールであ…
天正3年(1575年)、川湊として賑わい、伊勢参りの旅人で賑わう勢田川の船着き場に創業した茶屋が二軒茶屋餅角屋本店。店のすぐ裏手には旧街道が走り、川湊の跡が残されています。当主で21代目という角屋本店の名物が、伝統ある二…
創業は宝永4年(1707年)という、伊勢名物の代表格の赤福餅の老舗が赤福本店。街道時代には食事の代わりでもあったというのが茶屋の餅で、手早く食べられ、腹持ちが良く、疲れがとれ、おいしいというのが鉄則だったのだとか。その伝…
安永4年(1775年)創業の老舗の餅屋がへんばや商店。伊勢神宮に向かう参拝者が、宮川を渡るために馬を返して舟に乗ったという(宮川から先が伊勢神宮の神域)。この宮川のほとりで舟待ちの旅人相手に売られていた平たい焼き餅に、馬…
伊勢神宮(正しくは神宮)の内宮(ないくう)の入口、五十鈴川(いすずがわ)にかかる檜造りの橋が宇治橋。20年ごとに行なわれる遷宮の4年前に必ず掛け替えられる橋で、昭和24年に予定の遷宮が4年延期となり、以来宇治橋だけが早く…
国道の中で一番標高が高い場所、標高2171mの渋峠(長野県・群馬県の県境)を越え、尾根筋を走る国道292号・志賀草津高原ルート。志賀高原から草津温泉に抜ける全長41.1kmの山岳ドライブウェイは、かつては有料道路でした。…
伊勢を流れる勢田川(せたがわ)河口に位置する河崎(かわさき)の街は、船で豊富な物資が集まり「伊勢の台所」といわれた場所。伊勢神宮参拝に集まる人々に供する食材などを河崎で荷揚げし、蔵に保管していたのです。そんな河崎に建つ「…
伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ街道沿いにある古市は、伊勢参りの際の精進落としの場所として、庶民の伊勢参拝の隠れた目的の地でもあり、江戸の吉原、京都の島原に並ぶ三大妓楼に挙げられるほどの賑わいを見せていました。その古市の繁栄を…
金井と相川をつなぐ全長およそ30kmの山岳ドライブウェイ。新潟県道463号白雲台乙和池相川線と防衛省が管理する道路の総称が大佐渡スカイラインです。大佐渡山脈の尾根沿いを走る道路で、最高地点は標高942m。白雲台は絶景ポイ…
日光山内から紅葉の名所としても名高いいろは坂を経て、中禅寺湖、奥日光、さらに国道で第3位という標高を誇る金精峠を越えて、群馬県沼田市に至る国道120号。日光でも最初に紅葉が始まるという竜頭の滝(りゅうずのたき)も沿線にあ…
大川橋蔵や北大路欣也主演のテレビドラマ『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、野村胡堂(のむらこどう)の小説『銭形平次捕物控』が原作。主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定。というわけで神田明神(正式名…
日光と塩原を結ぶという山岳観光道路が栃木県道路公社が管理運営する日塩もみじライン(日塩有料道路)。鬼怒川温泉(日光市)からスキー場、八郎ヶ原放牧場などを横目に塩原温泉・中塩原(那須塩原市)まで27.5kmの有料道路です。…
伊勢と奥志摩を結ぶパールロード(三重県道128号鳥羽阿児線)随一の絶景といわれる展望台が鳥羽展望台。標高165m、太平洋を見下ろす箱田山頂上に位置する展望台で、眼下に国崎の海岸線や安乗岬、大王崎、晴れていれば神島はもちろ…
俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられ…
三重県紀北町と尾鷲市を結ぶ国道42号は天狗倉山(馬越峠/まごせとうげ)をトンネルで通過していますが、馬越峠周辺には17世紀前半に紀州藩の行なった街道整備事業で敷かれたと推定される熊野古道伊勢路の石畳が残されています。これ…