秩父神社

秩父神社は、宝登山神社、三峯神社とならび秩父三社のひとつで、武蔵国(むさしのくに)成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守、つまりは秩父地方の総鎮守として信仰を集めてきた古社で、明治以前の神仏習合時代には妙見菩薩も祀られていました。12月2日・3日に行なわれる『秩父夜祭』が有名。

崇神天皇の御代に創建された秩父(知知夫国)の総鎮守

平安初期に編纂された『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が崇神天皇の御代(紀元前1世紀)に祖神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まると伝えられる古社。

社殿と参道を結んだ南側延長線上に武甲山(妙見山)があり、武甲山が信仰の対象だったと推測できます。

平安時代には秩父平氏・平良文(たいらのよしふみ)が妙見菩薩を信仰し、花園妙見寺(現・ 群馬県高崎市引間町/東日本における妙見信仰の発祥地)から妙見菩薩を勧請。
その後、妙見信仰(北極星を神格化した妙見菩薩に対する信仰)と習合し、「秩父大宮妙見宮」として栄えました。

左甚五郎作の見事な虎に出会う

左甚五郎作の「子育ての虎」
左甚五郎作「つなぎの龍」
「お元気三猿」
「北辰の梟」

1592(天正12)年、徳川家康の命により、再建された社殿は、様々な彫刻が施され絢爛豪華。
とくに左甚五郎作の「子育ての虎」「つなぎの龍」は必見です。

また本殿の西側には「よく見て・よく聞いて・よく話す」という三猿も描かれています。

明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で別当寺だった秩父三十四箇所の旧15番札所・母巣山蔵福寺廃寺は廃寺となっています。
明治17年の秩父事件では、困民党軍が境内に集結。

授与品に、学業成就の「北辰乃梟学業絵馬」と「智恵梟守」、鬼門封じの「つなぎの龍 絵馬」、子供の健やかな成長を祈願する「子宝・子育のトラ 絵馬」と「子育守」、元気に見て・聞いて・話せてを願う「お元気三猿 絵馬」などがあります。
参拝・祈願の申込みは殿前「授与所」で(祈願料5000円〜)。

12月2日・3日に斎行の『秩父夜祭』

秩父神社の例祭として、12月2日・3日に行なわれる『秩父夜祭』は寛文年間(1661年〜1673年)に始まったとされ、300年以上の伝統を誇る祭礼。
妙見信仰を背景に、武甲山の男神と秩父神社の女神との年に一度の逢瀬ともいわれてきました。

明治時代の初めまでは、『霜月大祭』と呼ばれ、旧暦の11月3日に斎行されていました。
秩父絹の全盛時代には、『霜月大祭』にあわせて「絹大市」が開かれ、その市の遠方から来る人々を楽しませるために笠鉾や屋台が始まったと推測されています。

提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しが見事で、京都祇園祭、飛騨高山祭と並び、「日本三大曳山祭り」に数えられています。
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれ、国の重要有形民俗文化財に指定。
祭自体は、国の重要無形民俗文化財に指定され、国の重要有形民俗文化財と重要無形民俗文化財にダブルで登録されている貴重な祭りとなっています。

また、「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録。

秩父神社
名称 秩父神社/ちちぶじんじゃ
所在地 埼玉県秩父市番場町1-1
関連HP 秩父神社公式ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道秩父駅から徒歩10分
ドライブで 関越自動車道花園ICから約25km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 秩父神社 TEL:0494-22-0262/FAX:0494-24-5596
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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