埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水東縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、見沼溜井を干拓し、その東縁と西縁とに見沼代用水を通したもの。
見沼自然公園〜川口自然公園は桜回廊に
享保7年(1722年)、紀州藩主から第8代将軍となった徳川吉宗の命を受け、見沼代用水路普請奉行・井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ=紀州藩時代に、紀の川流域の新田開発に成功)によって掘削され、享保13年(1728年)に完成した関東平野最大の農業用水。
有名な「享保の改革」(きょうほうのかいかく)の一環として行なわれた新田開発です。
「代用水」という名は、農業用ため池の見沼(見沼溜井=井沢弥惣兵衛が新田開発のため、八丁堤を壊して干拓)に代わる用水という意。
現・埼玉県行田市下中条の利根大堰近くで利根川から取水し(見沼元圦公園が整備されています)、行田市、久喜市を南下し、元荒川を柴山伏越(しばやまふせこし=元荒川の川底を見沼代用水が抜け出る構造)で越え、蓮田市と上尾市の境を流れる綾瀬川(瓦葺掛樋跡が掛樋史跡公園として整備)を越えた直後に西縁、東縁に分かれ、見沼たんぼ(かつての見沼)の縁に沿って東西の2本の用水となって流れ、見沼田んぼを潤し、さらに川口市内を流れ、西縁は川口市小谷場で、東縁は足立区で毛長川に合流して舎人堰水門(とねりぜきすいもん)が終点になっています。
見沼田んぼ(旧・見沼溜井)東縁の台地に沿って掘削された見沼代用水東縁(全長16km)と、西側の見沼代用水西縁(全長22km)の2本があり、見沼田んぼの両縁から、田んぼに農業用水を取り込む方式。
見沼田んぼでは、見沼代用水西縁〜芝川〜見沼代用水東縁を結ぶ、見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)が享保16年(1731年)に完成。
見沼代用水と芝川との3mの水位差を克服する閘門式運河(こうもんしきうんが=パナマ運河のような閘門で水位を調節)で、通船堀の完成によって見沼田んぼで生産した米を、芝川の舟運で江戸に運ぶことができるようになったのです。
見沼通船堀公園、見沼通船堀東縁、見沼通船堀西縁が整備されているので、合わせての見学をおすすめ。
見沼代用水東縁沿いには、見沼を干拓し、見沼代用水を開削した井沢弥惣兵衛の銅像が園内に立つ見沼自然公園、さぎ山記念公園、川口自然公園、川口市立グリーンセンターなどがあります。
見沼自然公園〜川口自然公園には桜が植栽され、見沼たんぼの桜回廊の一部になっています。
見沼代用水として農林水産省の疏水百選にも選定。
見沼代用水東縁 | |
名称 | 見沼代用水東縁/みぬまだいようすいひがしべり |
所在地 | 埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区 |
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