硅灰岩(けいかいせき)の岩の上に天平宝字5年(761年)に良弁(ろうべん)僧正が、聖武天皇の勅願により、開基したと伝えられる名刹が石山寺。平安時代以降は、西国三十三所第13番札所として多くの人々の尊崇を集めてきました。紫式部など中世の女流文学者の石山詣(いしやまもうで)でも知られています。
寺名の由来は日本で唯一つの巨大な硅灰岩の露頭
石山詣として古典文学にしばしば登場する境内には、寺名の由来ともなり日本で唯一の巨大な硅灰岩(国の天然記念物)が露出し、石山寺独特の景観を見せています。
建築物では平安時代後期の永長元年(1096年)再建の本堂と鎌倉時代の建久5年(1194年)建立、日本最古の多宝塔が国宝に。
建久年間(1190〜1199年)に源頼朝により寄進された東大門、鐘楼などが国の重要文化財に指定されています。
平安時代に、宮廷の女人の間で、石山寺の観音信仰が流行。
観音堂に参籠し一晩中読響にふけったといわれています。
紫式部は7日間参籠して『源氏物語』の構想を練ったとも。
女流日記のさきがけで紫式部に影響を与えた『蜻蛉日記』(藤原道綱の母)、平安中期に記された日記『更級日記』(菅原孝標の女)、平安時代の歴史物語『栄華物語』(作者不詳)、中納言源忠頼の娘、源忠頼娘(落窪姫君)が主人公の『落窪物語』(作者不詳)、女流日記文学の代表的作品である『和泉式部日記』(和泉式部)、『源氏物語』の影響を受けて誕生した『浜松中納言物語日記』(菅原孝標の女)など数多くの日記や随筆に石山詣が記されています。
鎌倉時代に描かれた『石山寺縁起絵巻』には、『更級日記』の作者一行が石山寺に詣でる図が描かれており、当時の女流文学者にとって大切な寺であったことがよくわかります。
広重の描いた近江八景『石山秋月』
広重最晩年の傑作『名所江戸百景』と同時期に、同じ版元の魚屋栄吉から出版されたもの。
西国三十三所霊場間の距離・時間
12番・岩間山正法寺/岩間寺(滋賀県大津市石山内畑町82) — (6km/25分) — 13番・石光山石山寺(滋賀県大津市石山寺1-1-1) — (10km/30分) — 14番・長等山三井寺/園城寺(滋賀県大津市園城寺町246)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です
石山寺 | |
名称 | 石山寺/いしやまでら |
所在地 | 滋賀県大津市石山寺1-1-1 |
関連HP | 石山寺公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪石山坂本線石山寺駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路瀬田西ICから約3km |
駐車場 | 市営石山寺駐車場(140台/有料) |
問い合わせ | 石山寺 TEL:077-537-0013/FAX:077-533-0133 |
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