三井の晩鐘(三井寺・鐘楼)

「近江八景」のひとつに数えられる「三井の晩鐘」。「三井の晩鐘」で知られる鐘楼は、三井寺(正式名は園城寺)の中心、金堂の南東に建てられています。宇治の平等院、高尾の神護寺とともに「日本三銘鐘」のひとつ。

日本三銘鐘のに数えられる鐘の音は、「残したい日本の音風景百選」選定

1595(文禄4)年、三井寺は豊臣秀吉の逆鱗にふれ、「寺領取り上げ諸堂取壊」という厳しい沙汰を受けています。
これが、「文禄の闕所」(ぶんろくけっしょ)で、それまでの鐘楼と鐘もこのときにいったん破却されています。

現在の鐘楼と梵鐘は、1602(慶長7)年に再建、再鋳造されたもので、国の重要文化財。
鐘を鋳造したのは、隠遁生活を送っていた道澄(どうちょう)。
関白近衛稙家の三男として生まれた道澄は、聖護院門跡、三井寺長吏、熊野三山検校などの要職を歴任し、政治的な手腕も発揮。
秀吉も道澄を風雅の師と仰ぎ、京に建立した大仏殿方広寺の初代住職としての任を与えてもいますが、その後、道澄は隠居。

そんな時に、三井寺は秀吉の怒りを買って「文禄の闕所」という嵐に見舞われます。
道澄は三井寺の僧侶を引き取り、黄不動尊・智証大師坐像など貴重な寺宝を照高院に預かっています。

道澄からの三井寺復興の嘆願もあって、秀吉は遺言で三井寺復興を約束します。
そこで、「昏云、願此鐘声超法界鉄囲幽暗悉皆聞聞塵清浄証円通一切衆生成正覚于時慶長七歳舎壬寅孟夏弐一日長等山園城寺長吏准三宮道澄誌焉・・・」という銘を入れて、道澄が鋳造したのが、現在の梵鐘です。

「三井の晩鐘」の鐘の音色は環境省による「残したい日本の音風景百選」に選ばれています。

歌川広重『近江八景』三井の晩鐘/保永堂版
三井の晩鐘(三井寺・鐘楼)
名称三井の晩鐘(三井寺・鐘楼)/みいのばんしょう(みいでら・しょうろう)
所在地滋賀県大津市園城寺町246
関連HP三井寺公式ホームページ
電車・バスで京阪石山坂本線三井寺駅から徒歩12分
ドライブで名神高速道路大津ICから約3.5km
駐車場園城寺駐車場(350台/有料)
問い合わせ三井寺(園城寺)TEL:077-522-2238
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