須賀神社

須賀神社

滋賀県長浜市西浅井町、かつて琵琶湖の舟運で栄えた、琵琶湖の北岸・菅浦の高台に鎮座する古社が須賀神社(すがじんじゃ)。天平宝字3年(764年)、淳仁天皇が営んだ離宮・保良宮(ほらのみや)として創始されたともいわれ、神社の裏山に淳仁天皇の御陵と伝わる塚があります。

琵琶湖の北岸、舟運で栄えた菅浦を見守った古社

須賀神社には天平宝字3年(759年)、淳仁天皇が当地に保良宮を営んだ、あるいは天平宝字8年(764年)、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱後、淳仁天皇が隠棲したとの伝説があり、今も神域は裸足で参拝しなければならないとの慣わしが厳しく守られています(拝殿への石段途中、手水舎から裸足で参拝)。
残念ながらあくまで伝承の域を出ず、保良宮があったとされる地は、大津京にも近い滋賀県大津市の石山国分遺跡の周辺だとする説が有力です。

保良神社・菅浦大明神とも称し、鎌倉時代の嘉禎3年(1237年 )銘のある銅鏡、正応3年(1290年)銘がある鰐口なども社宝として伝わり、菅浦郷土史料館に保管されています。

神社では50年ごとに『淳仁天皇祭』が斎行され、前々回は、昭和38年に1200年祭が、前回は平成25年(2013年)に1250年祭が営まれたことから、次回は2063年に『淳仁天皇祭(1300年祭)』となります。

その歴史を反映して、室町時代の村の規則を定めたもの、隣村の大浦との田地争いの様子がわかる合戦記などが記された鎌倉時代〜江戸時代の菅浦集落の記録である「菅浦文書」(65冊)、鎌倉時代後期〜南北朝時代に菅浦を描いた縦91.5cm、横62.3cmの中世の荘園絵図「菅浦与大浦下庄堺絵図」(1幅) は国宝。

菅浦は塩津浜、大浦とともに、日本海側の交易ルートと琵琶湖舟運への連絡地点で、京・大坂を結ぶ水運の要衝でした。
文政7年(1842年)の記録では、菅浦は、20石〜30石積みの丸子船(両舷に丸太をくくりつけた琵琶湖特有の船)20艘を保有していました。

「菅浦の湖岸集落」は、国の重要文化的景観に選定、また日本遺産「琵琶湖とその水辺景観 – 祈りと暮らしの水遺産」の構成資産にもなっています。
菅浦は、奥琵琶湖パークウェイの入口にあるので、湖岸ドライブの途中にぜひ寄り道を。

須賀神社
名称 須賀神社/すがじんじゃ
所在地 滋賀県長浜市西浅井町菅浦439
関連HP 長浜市公式ホームページ
ドライブで 北陸自動車道木之本ICから約20km
駐車場 なし
問い合わせ 長浜観光協会 TEL:0749-53-2650/FAX:0749-53-3161
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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