聖武天皇の勅願で742(天平14)年、五穀豊穣・国家鎮護のために国ごとに造られたのが国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺、総国分寺は東大寺)。出雲国分寺跡は、金堂、講堂や回廊の跡がほぼ完全な形で出土している全国でも珍しい場所で、整備された礎石などから往時の伽藍配置が分かるようになっています。
参道と推測される古道と寺の礎石から天平の世を偲ぶ
古代出雲の政治文化の中心であった意宇(いう)平野の北東部、松江市竹矢町に位置する出雲国分寺。
出雲国分寺は750年代には完成したと推測されています。
出雲国分寺跡は、参道である天平古道とともに国の史跡に指定。
新羅(しらぎ)系といわれる瓦(平城京は百済系の瓦)などの出土品は「八雲立つ風土記の丘資料館」に展示されているので見学を。
天平古道が通じる南側から北に向かって南門、中門、金堂、講堂、僧房が一直線に配列されており、南門と中門を結ぶ参道の東側(中門の東南)には塔(七重塔)が建てられていました。
現在は塔の東側までしか史跡公園になっていませんが、往時は方二町(218m四方)という広大な寺域を誇っていました。
屋根瓦の文様も新羅系なので、朝鮮半島との文化的交流や影響があったことがわかります。
出雲国分尼寺は国分寺の東約400mにあり、発掘調査から、国分寺と同規模の金堂跡が発掘されていますが、その規模は住宅地となっており判然としません。
出雲国府(国庁)は、松江市大草町の六所神社にあり、島根県教育委員会の発掘調査で、政庁後殿あるいは正殿、後方官衙(かんが)、国司館、工房跡などが発掘されています。
また、「天平古道」と名付けられた古代の石敷の道が往時のまま残されていますが、実際の石畳は道路の下にあって見ることはできません。
出雲国分寺跡 | |
名称 | 出雲国分寺跡/いずもこくぶんじあと |
所在地 | 島根県松江市竹矢町中竹矢寺領 |
関連HP | 松江観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR松江駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 山陰道東出雲ICから約2.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 松江観光協会 TEL:0852-27-5843/FAX:0852-26-6869 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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