天平古道

天平古道

島根県松江市、聖武天皇の詔で創建された出雲国分寺に向かって南側から一直線に伸びる道が天平古道。奈良時代に造られた幅6m、全長486mの道で、国分寺へ通じる幹線道路だったことが想像できます(当時は石畳の道)。現在では土が盛られ舗装された農道として利用されていますが、古代ではこのあたりが出雲の文化の中心でした。

農道の下には古代の道路遺構が眠っている!

古代出雲の政治文化の中心であった意宇(いう)平野の北東部、天平古道の南東には出雲国庁跡があります。
出雲国分寺は、天平古道が通じる南側から北に向かって南門、中門、金堂、講堂、僧房が一直線に配列されています。
出雲国分寺の金堂跡から眺めると、まっすぐ南に天平古道が伸びるのがよくわかります。

昭和31年〜32年の出雲国分寺第1回発掘調査の際、「大旱魃(だいかんばつ)の際、3間くらいの幅でずっと稲がしおれた」という地元の人の話がきっかけで、発掘調査が行なわれたのです。
その発掘調査で、水田の下から幅4mの石畳の道(両側に側溝を有して合計6m)が現れたのですが、現在では盛り土され、農道として利用しています。
出雲国分寺跡附古道(いずもこくぶんじあとつけたりこどう)として国の史跡に。

名称 天平古道/てんぴょうこどう
所在地 島根県松江市竹矢町
電車・バスで JR松江駅からタクシーで15分
ドライブで 山陰道東出雲ICから約2km
問い合わせ 松江観光協会TEL:0852-27-5843/FAX:0852-26-6869
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

出雲国分寺跡

聖武天皇の勅願で742(天平14)年、五穀豊穣・国家鎮護のために国ごとに造られたのが国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺、総国分寺は東大寺)。出雲国分寺跡は、金堂、講堂や回廊の跡がほぼ完全な形で出土している全国でも珍しい場所で、整備された礎

出雲国庁跡

出雲国庁跡

島根県松江市大草町、意宇平野(いうへいや)の中央南寄り、出雲国総社である六所神社周辺が奈良、平安時代に出雲国庁(出雲国府)のあった場所、出雲国庁跡と推測されています。つまりは、一帯の条里制の名残りをとどめる水田が国府ということに。昭和43年

六所神社

六所神社

島根県松江市大草町にある古社、六所神社(ろくしょじんじゃ)。律令時代の出雲国総社で、東側隣接地から出雲国庁の正殿あるいは後殿と推測される大型建築物の遺構が見つかっています。古代の出雲国は、意宇郡(おうぐん)、意宇平野が中心で、八重垣神社など

島根県立八雲立つ風土記の丘

島根県立八雲立つ風土記の丘

島根県松江市南部(大庭地区・竹矢地区)、意宇川の下流域周辺は県内有数の古墳群域で、奈良時代には出雲国庁、出雲国分寺などが設置される、出雲文化発祥の地。島根県立八雲立つ風土記の丘の敷地内には、古代人の住居跡や古墳が点在、「島根県立八雲立つ風土

 

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