国分寺(四国八十八ヶ所霊場第59番札所)
愛媛県今治市国分ににある真言律宗の古刹、国分寺(四国八十八ヶ所霊場第59番札所)。天平13年(741年)、聖武天皇の勅願で、諸国に建立された国分寺のひとつ(伊予国分寺)で、行基開基と伝わる名刹。本尊は薬師如来。境内の東方…
愛媛県今治市国分ににある真言律宗の古刹、国分寺(四国八十八ヶ所霊場第59番札所)。天平13年(741年)、聖武天皇の勅願で、諸国に建立された国分寺のひとつ(伊予国分寺)で、行基開基と伝わる名刹。本尊は薬師如来。境内の東方…
愛媛県今治市玉川町別所にある高野山真言宗の古刹、仙遊寺。海抜300mの作礼山(されいざん)の山頂にあり、地元では「おされさん」と親しまれています。天智天皇の勅願で伊予の国守・越智守興(おちもりおき)が建立、のちに空海(弘…
愛媛県今治市玉川町にある高野山真言宗の寺、栄福寺(四国八十八ヶ所霊場第57番札所)。山号は府頭山、本尊は阿弥陀如来、かつて空海が府頭山で瀬戸内海の風波海難の平易を祈願して護摩供を修したことから、海陸安全の神として信仰され…
愛媛県今治市小泉にある真言宗醍醐派の古刹、泰山寺(四国八十八ヶ所霊場第56番札所)。弘仁6年(815年)、空海(弘法大師)により開かれ、金輪山勅王院泰山寺(きんりんざんちょくおういんたいさんじ)が正式名。本尊は地蔵菩薩で…
愛媛県今治市別宮町にある真言宗御室派の古刹が、南光坊(四国八十八ヶ所霊場第55番札所)。もともと大三島の大山祇神社が札所でしたが、明治初年の神仏分離以降は、もともとは大三島・宮浦に建てられた24坊のひとつで、鎌倉時代に今…
愛媛県西条市にある真言宗の寺、香園寺。聖徳太子が父である用命天皇の病気平癒を祈願して創建したと伝わる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第61番札所。寺は「子安大師」と呼ばれ、安産祈願に訪れる人が多いのも特徴。
愛媛県西条市、西日本最高峰・石鎚山中腹、標高750mのところにある真言宗御室派の寺、横峰寺(よこみねじ)。空海(弘法大師)自刻と伝わる大日如来像が本尊で、四国八十八ヶ所霊場第60番札所。神仏習合時代の石鎚山の西遥拝所。四…
愛媛県西条市にある真言宗東寺派の寺、吉祥寺(きちじょうじ)。弘仁年間(810~824)、空海開基と伝わる寺で、四国八十八ヶ所霊場第63番札所。かつては21坊を有する大寺でしたが、羽柴秀吉の四国平定の際に全焼、万治2年(1…
愛媛県四国中央市、法皇山脈(ほうおうさんみゃく)北側の標高400mの台地に建つ真言宗高野派の古刹、三角寺(さんかくじ)。四国八十八ヶ所霊場第65番札所で、伊予国(愛媛県)の最後の札所、讃岐国(香川県)との関所寺にもなって…
愛媛県西条市にある真言宗善通寺派の古刹が、宝寿寺(ほうじゅじ)。天平年間(729年~749年)、聖武天皇の勅願で伊予一の宮の別当として創建されたと伝えられる寺で、四国八十八ヶ所霊場第62番札所。創建当初は金剛宝寺と称して…
愛媛県西条市洲之内にある真言宗石鈇派総本山の寺、前神寺(まえがみじ)。霊峰石鎚山の麓に建つ、石鎚信仰の根本道場で、四国八十八ヶ所霊場第64番札所。奈良時代、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ=役行者)により開かれ、桓武天…
愛媛県宇和島市三間町の田園地帯に建つ真言宗御室派の古刹、仏木寺(ぶつもくじ)。大同2年(807年)、空海が楠の大木で刻んだ大日如来を本尊として開基した古刹で、四国八十八ヶ所霊場第42番札所。7月丑(うし)の日(土用の丑の…
愛媛県宇和島市、三間平野を見下ろす小高い山の中腹に建つ、四国八十八ヶ所霊場第41番札所が、稲荷山護国院龍光寺。大同2年(807年)、この地を訪れた空海が稲荷大明神を安置したのが始まりと伝えられる古刹です。真言宗御室派の寺…
香川県三豊市にある高野山真言宗の寺、本山寺(もとやまじ)。大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、空海が一夜にして本堂を建立したと伝わる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第70番札所。山号は七宝山、本尊は四国霊場で唯一の馬頭…
愛媛県今治市にある真言宗豊山派の古刹、延命寺。寺伝によれば養老4年(720年)、聖武天皇の勅願により行基が創建といい、かつては近見山にあったという。弘仁年間(810年〜824年)、嵯峨天皇の勅願で空海が堂宇を再興、不動院…
香川県高松市東部、五剣山(375m)の中腹、標高230m内外にある真言宗高野山派の寺、八栗寺(やくりじ)。四国八十八ヶ所霊場第85番札所で、四国ケーブルの八栗ケーブルが山麓から寺へと通じています。寺伝によれば、当初は山頂…
愛媛県松山市にある西林寺は、天平13年(741年)、行基により開基したと伝えられる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第48番札所。本尊は十一面観音像。当初は現在の松山市小野播磨塚あたりにありましたが、大同2年(807年)、空海(…
種間寺(四国八十八ヶ所霊場第34番札所)は、寺伝によれば577(敏達天皇6年)、大坂の四天王寺建立のため百済王(くだらおう)が派遣した仏師や画工達が務めを終えて朝鮮半島に帰国する途中、暴風雨にあって難破し秋山の湊へ寄港。…