四谷見附跡

江戸城三十六見附のひとつ。江戸城半蔵門から武蔵国国府(府中)をへて甲州(今の山梨県)に至る重要なルートの途上に築かれた枡形門。江戸城の外濠を築いた際に、門も築かれて防御を万全なものにしたのです。真田信之が築いたという外濠(真田濠)は埋め立てられ、上智大学真田堀運動場となっています。

江戸城から甲府に向かう重要な甲州口を守る枡形門

1602(慶長7)年、徳川家康が甲州街道と青梅街道を設置した際、現在の四谷4丁目付近に四谷大木戸を設けたのが始まり。
1634(寛永11)年、江戸城の外濠を開削するにあたり、麹町・清水谷周辺の寺院群を現在の新宿区須賀町・若葉2丁目あたりに移転させ、四谷寺町・南寺町が生まれたのです。

1636(寛永13)年、甲州街道に面する外濠に見附(警備のための城門)を築いたのが四谷見附門です。
建設を担当したのは、初代長州藩主・毛利秀就(もうりひでなり)。

田安門(上州道)、神田橋門(芝崎口)、外桜田門(小田原口・旧東海道)、常盤橋門(浅草口・奥州道)と並んで江戸五口の一つ半蔵門から四谷見附を経て甲州街道へ出る重要なルートの途上に位置していました。
この道筋は武蔵国の国府(府中)に通じる道でもあり、いざという時に将軍が甲府へ逃れるという江戸脱出路にもなっていた重要な門だったのです。国府路(こうじ)というのが麹町という町名の由来。後に幕府の麹御用を勤めた麹屋三四郎が一丁目の堀端に住んだので麹町になったとか。

真田濠を築いたのは真田信之!

枡形門の一部だった石垣が往時を偲ばせます

真田濠を築いたのは、NHK大河ドラマ『真田丸』で大泉洋が演じた真田信之、さらに伊達政宗、上杉定勝(上杉景勝の子)という豪華メンバー。
「江戸城にも真田の守り」などという話題も生まれています。
濠の両側には大きな土手が築かれ、堀の内側には通行人を監視する大番所が構えていました。

門の用地のため、当時の麹町の11丁目から13丁目の寺や町家は、濠の外側の四谷側(現在の四谷1丁目〜3丁目)に移されました。

外部(内藤新宿方面)からの敵の容易な侵入を避けるため、コの字型に道を曲げて造られ、枡形門を配して防備を固めていました。
さらに外側には江戸城を警備する御持組の組屋敷を配していました。さらにその先の内藤新宿には鉄砲の精鋭である百人組も屋敷を構えています。
いざという時には甲州街道と四谷見附門を守備できるという用心です。将軍の脱出ルートとして甲州街道が想定されていたことがおわかりいただけよう(下の江戸切絵図を参照)。

参勤交代では、諏訪の高島藩、高遠藩、飯田藩の3藩のみが甲州街道を利用し、馬が多いことで有名な街道でした。
江戸時代以前の四谷は、「四谷丸太」という名があるような杉の名産地だったのですが、材木商は高井戸・青梅などに移転しています。
四谷地区はこれにより、江戸市中へと組み込まれていきました。

往時の門は明治5年に撤去され、明治時代後期には交通量も増えたため、大正2年に現在の四谷見附橋が完成しました。
フランス様式の美しいデザインは、実は迎賓館を意識したものです。

江戸切絵図に見る 四谷見附&甲州街道

四谷見附跡
名称四谷見附跡/よつやみつけあと
所在地東京都千代田区六番町14地先
電車・バスでJR・東京メトロ四ツ谷駅から徒歩すぐ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

江戸城の玄関口、江戸五口とは!?

東海道に通じる桜田門(小田原口)、奥州街道に通じる大手門(大手口)中山道の神田橋門(芝崎口)、上州街道の田安門(上州口)、甲州街道の半蔵門(甲州口)が江戸五口。外郭に設置された見附も虎ノ門見附、常盤橋門、筋違見附、牛込見附、四谷見附があり、

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