野毛大塚古墳

野毛大塚古墳

東京都世田谷区野毛1丁目、玉川野毛町公園内ににあるのが野毛大塚古墳。上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群(荏原台古墳群)を代表する古墳で、円丘に小さな方形の張り出しをつけた帆立貝を思わせるかたちの帆立貝形古墳です。墳長82mで、直径66m、高さ11mの円墳に小さな前方部が付けられ、帆立貝形古墳としては最大規模のもの。

畿内王権と深く結びついた南武蔵地域の大首長墓

野毛大塚古墳

小さな前方部は、円墳に祭祀の場として造り出しを付設したもの(前方後円墳のような前方部をつけることを畿内王権の大王が制限したとする説もあります)。
周囲には馬蹄形(ばていけい)の濠が巡らされ、濠を含めた全長は104mにもなります。
発掘調査から古墳の表面は葺石(ふきいし)で覆われ、東京都最古となる埴輪列があったことがわかっています。

明治30年、最近では平成元年~4年に発掘調査が行なわれ、出土品は帝国博物館(現・東京国立博物館)と世田谷区立郷土資料館に収蔵。
出土品から古墳時代中期、5世紀の築造と推測され、古墳自体は東京都の史跡ですが、関東地方最古の鉄製甲冑(かっちゅう)や石製品など、多種多量の副葬品は東京都野毛大塚古墳出土品として国の重要文化財に指定されています。

鏡や武具、武器類の副葬品は畿内の古墳との共通性が強くあり、畿内王権と深く結びついた南武蔵地域の大首長墓と推測できます。

野毛大塚古墳
名称野毛大塚古墳/のげおおつかこふん
所在地東京都世田谷区野毛1-25 玉川野毛町公園内
関連HP世田谷区公式ホームページ
電車・バスで東京急行電鉄大井町線等々力駅から徒歩10分
ドライブで第三京浜道路玉川ICから約300m
駐車場19台/有料
問い合わせ世田谷区生涯学習・地域学校連携課文化財係 TEL:03-5432-2726/FAX:03-5432-3039
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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