高原熊野神社

高原熊野神社

和歌山県田辺市、熊野本宮へとつながる熊野古道・中辺路(なかへち)の高原(たかはら=不寝王子と大門王子の間)にある古社が高原熊野神社。応永年間(1394年~ 1428年)に若王子(にゃくおうじ)を熊野本宮から勧請して創建。朱塗り檜皮葺、春日造りの社殿は応永10年(1403年)の築で、現存する熊野古道・中辺路最古の社殿となっています。

江戸時代には旅籠が軒を連ねた

建仁元年(1201年)、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が随行した後鳥羽院の熊野詣では、高原での情景を詠んだ歌が記されています(『熊野道之間愚記』)。
高原王子とも呼ばれますが、創建以前の平安時代から鎌倉時代にかけての平安貴族の熊野詣では、九十九王子には数えられていません。

宿所として発展したのは南北朝時代以降で、足利義満側室・北野殿一行の応永34年(1427年)『熊野詣日記』には、往復の宿所にしています。
標高300mを超える山上の集落である高原地区には江戸時代には参詣者の泊まる旅籠が軒を連ねるまでになっています(近世に熊野への参詣道が潮見峠越えになってからも古道途中に位置して発展しました)。
そんな旅籠や駕籠屋も大正時代には廃絶しています。

高原熊野神社近くには高原霧の里駐車場もあるので、古道散策の基地としても絶好。

南方熊楠が守った神社の森

南方熊楠(みなかたくまぐす)は、明治の神仏分離・神社合祀令に対して、「熊野第二の宮と呼ばるる高原王子は、八百歳という老大樟あり」と熊野高原神社の存続を訴えています。
その保存運動もあって、境内を囲う楠の古木も実に見事で、境内地の景観は名勝「南方曼荼羅の風景地」にも選ばれています。

この「南方曼荼羅の風景地」13ヶ所は、南方熊楠が神社合祀反対運動中に記した『南方二書』、「神社合祀に関する意見」で触れた場所です。
明治末期から大正時代にかけて、神道の純化を目的に、一村一社の方針が出され、熊野古道沿いでも多くの神社が失われて合祀されていきました。
記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することで、「神国日本」をつくろうという大きなうねりがあったのですが、それに反対する声をあげたのが博物学者の南方熊楠です。
高原熊野神社も合祀の対象にされたのですが、なんとか合祀を免れました。
近代日本の環境保護運動に先駆的な役割を果たした南方熊楠の運動が、神社の社叢を守ったのです。

南方熊楠「神社合祀に関する意見」
「次に熊野第二の宮と呼ばるる高原王子は、八百歳という老大樟あり。その木を削りて神体とす。この木を伐らせ、コミッションを得んとする役人ら、毎度合祀を勧めしも、その地に豪傑あり、おもえらく、政府真に合祀を行なわんとならば、兵卒また警吏を派して一切人民の苦情を払い去り、一挙して片端から気に入らぬ神社を潰して可なり。しかるに、迂遠千万にも毎々旅費日当を費やし官公吏を派し、その人々の、あるいは脅迫し、あるいは甘言して請願書に調印を求むること、怪しむに堪えたり。必竟合祠の強行は政府の本意にあらじ、小役人私利のためにするところならんとて、五千円の基本金を一人して受け合う。さてその金の催促に来るごとに、役人を近村の料理屋へ連れ行き乱酔せしめ、日程尽き、役人忙て去ること毎度なり。そのうちに基本金多からずとも維持の見込み確かならば合祀に及ばずということで、この社は残る」

南方曼陀羅の風景地
田辺市 : 神島、鬪雞神社、須佐神社、伊作田稲荷神社、奇絶峡、龍神山、天神崎、継桜王子、高原熊野神社
上富田町:八上神社、田中神社
白浜町 : 金刀比羅神社
串本町 : 九龍島

名称 高原熊野神社/たかはらくまのじんじゃ
所在地 和歌山県田辺市中辺路町高原1120
関連HP 田辺観光協会公式ホームページ
ドライブで 阪和自動車道南紀田辺ICから約26km
駐車場 高原霧の里駐車場(15台/無料)
問い合わせ 田辺観光協会 TEL:0739-26-9929/FAX:0739-22-9903
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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