山口県萩市、萩城城下町・呉服町にあり、萩藩の御用商人として藩を支えた豪商の館が重要文化財菊屋家住宅。現存する建物は江戸時代初期のもので、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが残り、うち4棟を一般公開。雪隠(せっちん)にも床の間付きの着替え室を併設しており、豪壮かつ風流な邸宅を見学できます。
萩藩を支えた豪商の館を見学
菊屋家は、大内氏の時代には武士でしたが、大内氏滅亡後、慶長9年(1604年)、初代となる菊屋友味が毛利輝元に従って萩に入り、萩城築城の際には有力町人として支えています。
城下の町割りにも尽力し、阿古ヶ浜に藩士、足軽のための家を建てて住まわせたので、菊屋の浜から菊ヶ浜と呼ばれるようになったもの。
以降、代々孫兵衛を名乗って萩藩(長州藩)の御用を務め、町づくりに尽力した豪商。
莫大な土地を利用した稲作で財力を築いた大豪商で、第二次世界大戦後の農地改革までは、山口県一の大地主でした(12代当主・菊屋嘉十郎は、戦後、萩市長を6期務め、歴史的景観保存条例を制定するなど文化財保護に尽力しています)。
広大な屋敷地に主屋をはじめ数多くの蔵などが現存。
切妻造り、桁行13.0m、梁間14.9mの主屋、土蔵造りの本蔵(ほんぐら)と金蔵(きんぞう)、そして米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財で、国内に現存する最古の大型町家建築のひとつ。
主屋の後方に本蔵、さらにその後に道路に接して金蔵、米蔵が配され、釜場は金蔵の東側に置かれています。
以前は主屋の東側に書院が接続していましたが、失われています。
主屋の建設年代に関しては、明確ではありませんが、3代目孫兵衛嘉次が建築したとされ、江戸時代初期のもの。
明治23年に萩入りした有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)も、菊屋家に3泊しています。
館内には、藩主から拝領した屏風、掛け軸などの美術品や古書籍、当時の生活民具などが展示されています(通常は山口県内、萩市内の美術館、博物館に保管・寄託され、期間を定めて随時展示)。
また、毎年、新緑の美しい時期(4月末~5月中旬)と紅葉の時期(10月末~11月末)に、普段は⾮公開の枯山水様式の回遊式庭園(新庭)が特別公開されています。
江戸時代の庭に、明治、昭和に大規模な手入れを行なった庭です。
TBS「ぴったんこカン・カン」(令和元年8月2日放送)の「ぴったんこ名家部」コーナーでは、菊屋家第13代当主となる菊屋吉生(きくやよしお)さんが、菊屋家に伝わる三大家宝(趙千里の『楼閣山水図』、雪舟の『溌墨山水図』、画院画家の『草虫図』)を披露しています。
ちなみに主屋、米蔵、金蔵などに面した菊屋家住宅の西門前の道が、菊屋横丁、反対の東門に面した道が伊勢屋横丁です。
重要文化財菊屋家住宅 | |
名称 | 重要文化財菊屋家住宅/じゅうようぶんかざいきくやけじゅうたく |
所在地 | 山口県萩市呉服町1-1 |
関連HP | 重要文化財菊屋家住宅公式ホームページ |
電車・バスで | JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで20分、萩城外堀入口下車、徒歩2分 |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約46km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 重要文化財菊屋家住宅 TEL:0838-22-0005/FAX:0838-25-8282 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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