上杉神社は、上杉家の居城で米沢藩の藩庁だった米沢城本丸の奥御殿跡に鎮座する神社。米沢城跡は現在、松が岬公園となっていますが、米沢城の本丸跡ということでその中心に位置しています。米沢城本丸跡の6割を占めるという広大な境内で、祭神は藩祖となる上杉謙信。
上杉謙信を祭神とする神社は、米沢城本丸の奥御殿跡に鎮座
川中島合戦の後、関東侵攻の準備中(関東侵攻後、信長を打倒し京へ上洛しようと考えていたというのが定説)の天正6年(1578年)に越後春日山城(現・新潟県上越市)で亡くなった名将、上杉謙信の遺骸を慶長6年(1601年)に移葬した祠堂が前身。
遺骸は当初、春日山城下の林泉寺に安置されましたが、2代・上杉景勝(うえすぎかげかつ=豊臣政権の五大老から初代米沢藩主に)の転封に伴って、若松城(会津若松=上杉景勝が秀吉の命で会津120万石に加増移封)、次いで米沢城内(上杉景勝が家康の命で米沢30万石に減封)に改葬されています。
藩政時代には仏式で祀られ、法音寺など11ヶ寺が交代で祭祀を執り行なっていました。
明治の神仏分離令、廃仏毀釈、さらには廃城令を受け、上杉謙信の遺骸も上杉家廟所に移され、大乗寺の僧侶が還俗して神官となって、上杉神社が生まれました。
明治4年から、上杉謙信に加え、米沢藩中興の名君・上杉鷹山(うえすぎようざん)を祭神として合祀して祀っています。
明治9年に現社地の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座。
上杉謙信を祭神とする神社は、米沢城本丸の奥御殿跡に鎮座
大正8年の大火により、神社は本殿以外を焼失、現在の神殿は大正12年に再建されたもの。
設計は平安神宮、橿原神宮、明治神宮、築地本願寺などを手掛けた、地元・米沢市出身の伊東忠太。
宝物殿である「稽照殿」には上杉家ゆかりの宝物などが展示されています。
宝物に重要文化財の絹本著色毘沙門天像、紫綾金泥両界曼荼羅図など仏画が多いのは、明治以前に寺だったから。
例祭は旧暦3月13日(上杉謙信は天正6年3月13日没)を太陽暦に換算し(正しく換算すれば4月19日ですが)、さらに米沢の春の風物詩となっている『米沢上杉まつり』と合わせて4月29日に齋行されています。
摂社の松岬神社に上杉鷹山が祀られ、春日神社(境内社)も上杉鷹山ゆかりの社。
イベントや物産展なども開催されますが、幻想的な雪あかりを目当てに多くの人が訪れています。
上杉神社 | |
名称 | 上杉神社/うえすぎじんじゃ Uesugi Jinja Shrine |
所在地 | 山形県米沢市丸の内1-4-13 |
関連HP | 米沢市公式ホームページ |
電車・バスで | JR米沢駅から山形交通バス白布湯元行きで8分、上杉神社前下車、徒歩5分(バスは本数が少ないのでタクシー利用が便利) |
ドライブで | 東北自動車道福島飯坂ICから約38km |
駐車場 | 松が岬おまつり広場駐車場(300台/無料) |
問い合わせ | 上杉神社 TEL:0238-22-3189 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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