甲府城(舞鶴城)の北辺、稲荷曲輪(いなりくるわ)の復元櫓。稲荷曲輪御櫓(いなりくるわおんやぐら)が正式な名称で、城内の鬼門の北東に位置することから御艮櫓(おんうしとらやぐら)とも呼ばれ、藩政時代には武具蔵として使われました。発掘調査で判明した遺構の場所に絵図や史料をなどをもとに平成16年に復元したもの。
稲荷曲輪は甲府城の火薬庫もあった防衛拠点
櫓(やぐら)は、近世城郭の隅などに防御施設として建築された建物で、石落としなどの防御機構が付属しています。
稲荷櫓前には櫓の壁と屋根の構造が展示されているので、ぜひ一読を。
また稲荷曲輪の御武具蔵にも鉄砲や弓矢などの武器が収納されていたほか、曲輪内には甲府城の火薬庫だった焔硝蔵(えんしょうぐら)もあることからいざ決戦という非常時に備えた重要な曲輪であることが推測できます。
注目は、稲荷曲輪東面の石垣。石を加工せずに積む野面積みですが、石垣の高さは17mもあり甲府城でもっとも高い石垣。
東日本では最大級の高さを誇る石垣となっています。
つまり、武器弾薬を保管する曲輪を守るため石垣も見上げるような高さになったというわけなのです。
稲荷櫓の名の由来は、稲荷曲輪の稲荷門近くに鎌倉時代からこの地を守る庄司稲荷が鎮座していたことに由来。
庄司稲荷は、遊亀橋の東に遷されて現存しています。
広重の浮世絵に見る 甲府城本丸櫓・稲荷櫓
歌川広重の『甲斐夢山裏富士』(かいゆめやまうらふじ)に描かれた甲府城。絵柄の左、見事な松(山頂には「二本松」)の生える山は愛宕山の北、夢山(現・夢見山)。山腹の岩は武田信虎が夢を見て信玄が生まれたという伝承が伝わる夢見石。
かなりデフォルメされたアングルで、大きさも写実性には乏しいのですが、右端の櫓は甲府城の本丸櫓、その左側に見えるのが稲荷櫓と推定できます。
広重は、1841(天保12)年、甲府城下町での『甲府道祖神祭り』幕絵製作のため甲府を訪れた際、その時の夢山での写生を元に起こした浮世絵です。
甲府城・稲荷櫓 | |
名称 | 甲府城・稲荷櫓/こうふじょう・いなりやぐら |
所在地 | 山梨県甲府市丸の内1-5-4 |
関連HP | 甲府市公式ホームページ |
電車・バスで | JR中央本線甲府駅から徒歩5分 |
ドライブで | 中央自動車道甲府昭和ICから約5km |
駐車場 | パーキング山梨交通(121台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 甲府市観光課 TEL:055-237-5702 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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