長篠城址史跡保存館

長篠城址史跡保存館

長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。

「長篠の攻防」に関する資料を保存・展示

長篠の戦いで、籠城した城主・奥平貞昌氏の血染めの陣太鼓や、火縄銃、長篠合戦図屏風や古文書など貴重な資料を展示、公開。

「長篠の攻防」は、武田信玄の雄図、長篠のろう城、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の勇気、決戦の前夜、設楽原の決戦、長篠の戦いと鉄砲、戦いとその後、戦跡全体模型、参考品(鎧)で詳しく解説。

長篠城址史跡保存館
長篠城址史跡保存館
名称長篠城址史跡保存館/ながしのじょうししせきほぞんかん
所在地愛知県新城市長篠市場22-1
関連HP新城市公式ホームページ
電車・バスでJR飯田線長篠城駅から徒歩8分
ドライブで東名高速道路豊川ICから約17km
駐車場城址駐車場(50台/無料)
問い合わせ長篠城址史跡保存館 TEL:0536-32-0162
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
長篠城

長篠城

長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大軍を擁した武田勝頼の

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長篠城址史跡保存館

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