最勝院五重塔

最勝院は弘前市にある真言宗智山派の寺。重要文化財に指定されている塔としては日本最北の五重塔が有名です。1667(寛文7)年、3代藩主の津軽信義の案により、藩創始以来の戦死者を敵味方の区別なく弔うために建てられたもの。10年の歳月をかけて完成した塔は高さ31m。

本州最北の五重塔は国の重文

国の重要文化財に指定される五重塔は、弁柄(べんがら)の赤と胡紛(ごふん・貝殻を焼いて作った粉)の白のコントラストが見事。
わざわざ遠く飛騨から名工を招いて造らせたといわれるだけあって、均整のとれた姿には品格すら漂っています。

最勝院(金剛山光明寺最勝院)は、1532(天文元)年、常陸国(現・茨城県)出身の弘信が、堀越城下(現・弘前市堀越)に開山したのが始まり。

1611(慶長16)年には弘前城の鬼門(北東)を守護するため、城の北東にあたる田町(現・銅屋町)に移りました。
藩政時代には弘前八幡宮の別当となり、12ヶ寺の塔頭(たっちゅう)を抱えて、藩の永世祈願所となって繁栄しました。

明治の神仏分離、廃仏毀釈の荒波を受け、塔頭は廃寺となり、最勝院も現在地(当時は大圓寺が建っていましたが、大圓寺は大鰐町の高伯寺に合わされています)に移りました。
現在の最勝院護摩堂は旧大圓寺の本堂で、本尊・牛頭天王(ごずてんのう)がそのままに奉安されています。

津軽真言五山の制度

東叡山寛永寺や日光東照宮を開いた天海大僧正は、1626(寛永3)年、京都五山、鎌倉五山にならって津軽 真言五山の制度を定めています。
ちなみに最勝院は津軽真言宗五ヶ寺の筆頭の格式。
最勝院(田町=現・弘前市銅屋町)、百澤寺(岩木町百沢=現・岩木山神社)、国上寺(旧碇ヶ関村古懸=現・平川市碇ヶ関)、橋雲寺(中津軽郡岩木町植田)、久渡寺(旧小沢村=現・弘前市坂元)の5ヶ寺です。

最勝院五重塔
名称最勝院五重塔/さいしょういんごじゅうのとう
所在地青森県弘前市銅屋町63
関連HP最勝院公式ホームページ
電車・バスでJR弘前駅から弘南バス新寺町方面行きで13分、弘高前下車、すぐ
ドライブで東北自動車道大鰐弘前ICから約10km
駐車場なし
問い合わせ最勝院五重塔 TEL:0172-34-1123
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弘前八幡宮

津軽藩2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)の治世、松前城の築城に伴って1612(慶長17)年、鼻和郡八幡村(旧岩木地区)の八幡社(大浦城の鬼門鎮護として機能していました)を、弘前城の鬼門(東北)の鎮護としたのが始まり。以来、弘前総鎮守、弘前

蘭庭院栄螺堂

青森県弘前市の寺町(禅林街)にある蘭庭院(らんていいん)は、弘前藩2代藩主。津軽信枚が弘前城西南の抑えとして寺院を集めた禅林街33ヶ寺の一つで曹洞宗の寺。蘭庭院は院号で開基の津軽為信姉の戒名である蘭庭薫香大禅尼から付けられた名前。禅林街の上

長勝寺

弘前城の南西に位置する寺町、曹洞宗33ヶ寺が連なる禅林街の中心となる名刹。周辺には33もの寺院が建ち並び実に壮観。曹洞宗33ヶ寺をここに集めたのはいざというときには防御の役割も担わせるため。そのうちのひとつ長勝寺は津軽家代々の当主が眠る寺で

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